SAKAGUCHI KEN FACTOY,inc. 2-14-10 Misyuku,Setagaya-ku,Tokyo,Japan 154-0005 TEL:03-3424-2304 FAX:03-3424-2341
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001◆初期衝動


  オレが今までどんな音楽と向かい合って、音楽をパッケ−ジするア−トワ−クの仕事についたか、、って話をしようと、思う。
オヤジは船乗りで、遠洋漁業ってヤツ。船乗ったら1〜2年くらい帰ってこないし、オフクロはずぅーと仕事、仕事な人。今でも。
だから、弟が登場するまでは物心ついた頃から家で独りで留守番して過ごすことが多かったのかな。
独りってもんに、すごい慣れちゃった。レコ−ド聴いて過ごしたり、TVのヒ−ロ−と過ごしたり、意味ない絵描いてたり、、、
小学校4年の時に、サッカ−って友達できるまでは、ほんと独りっきりのイメ−ジしか、、、ない。
サッカ−きっかけで、みんなと練習、試合や遠征とか行くようになって、、ム−ドメ−カ−になろうとしたし、とにかく、みんなを笑わしたり、 突拍子もないことをやらかしてた。監督やコ−チを困らせては喜んでたのかな。
好きな音楽とかTV番組の話を共有できる友達も、少ないけど、できたんだ。
そんな訳でサッカ−ってものは、すばらしい、あたりまえだけど大切なものにかわりない。
  で、音楽の話だけど、サッカ−で自分も忙しくなってはいるものの、留守番生活は続いてるから、おこずかいとか、たまったら TVヒ−ロ−の主題歌とか、TVドラマの主題歌とか、歌謡曲『ヒデキ・サイジョウ』とか、、ド−ナツ盤買ってたんだけど、、
中学になって、最初にLPレコ−ドを買ったのが、『KISS』の『地獄の軍団』ってアルバム。毒あるメイクと、キャラクタ−のおもしろさ。
ジャケットも興味をそそるんだけど、今聴いてみるとわかるんだけど、やたら、シンプルで分かりやすい楽曲!なんだ、これが。
クラスの早熟な女の子が、最初『ベイシティ・ロ−ラ−ズ』とかに、キャ−!!って騒いでて、、、
友達のアニキはリ−ゼントしてて、『CAROL』に狂ってた。『エ−ちゃん!成り上がり!』そんな、時代。
  で、オレの『KISS』ファンは学校でも有名になっちゃった。なぜかって!
すぐに、絵に描いたし、美術の宿題とか課題に関係なく『KISS』のポスタ−とかばっかり作って、よく怒られたから、ね。
知らねえ先輩とか、後輩からも『KISS』好きなんだー、なんて声かけられるようになった。友達なんか、『KISS』のジ−ンのものまねして、 灯油を口から吹き出して、キャンプファイヤ−年中やるようになっちゃうし、、、Ha Ha Ha Ha_
  それから『KISS』は頑張って全部LP揃えて、『AEROSMITH』『Queen』『LedZeppelin』.......いろいろ買って聴いたりしてた。
『The Rolling Stones』とか『The Beatles』にも、興味あったから、友達でアニキがメチャクチャ洋楽ファンで LPコレクタ−だって話、聞いて。そこんちアニキが居ないとき溜まるようになったんだよ。
  そんな毎日で、初期衝動!をおぼえた事件があった。友達が『NEVER MIND THE SEX PISTOLES』って書いてある黄色のジャケットの 輸入盤を街から買ってきたのだ。『SEX PISTOLES』ってもしかしたら、破れたス−ツ着て、ピョンピョン跳ねてるバンド?
TV。それも、NHKで海外の若者は、、今、、って以前レポ−トされてたイギリスのヤツじゃ、ねーかー!何なんだろっ。
  さっそく、針を落としてみたら、Za! Za! Za!Za!Za!Za!Za!Za!メチャクチャなパワ−!じゃ、ねーのっ!!なにぃ!こいつは!!って。
それからは『THE SEX PISTOLES』の毎日になっちゃった。ジョニ−の聞いたことのない歌い方と、その声。
BASSのシド。カッチョイイし!『MY WAY』とかふざけて歌ってるし。っとか 言ってたら、恋人殺しちゃうわ、死んじゃうわ、、、、、一瞬で解散しちゃってるし。一瞬で終わっちゃった。
PUNK ROCKって呼ばれたBANDはみんなカッコ良くって『THE CLASH』とか『JAM』『999』『Damned』『T.R.B.』..........
またハマった!PUNK ROCK!
  さすがに、この初期衝動!の中に、あの黄色のジャケット!がオレの中に、残った。うわッ!こりゃ、できる!オレでもデキル!
中学2年も終わりに進路のこととか先生に聞かれるじゃない。すかさず、[レコ−ドのジャケットを作る人]になるって答えた。
で、高校もそれをやるために、行く高校は?って聞いて。デザイン課のあるとこに決めた。
  高校入学した年に、日本でも『SEX PISTOLES』の曲『ANARCHY IN THE U.K.』から連想できるバンド『アナ−キ−』がデビュ−した。
当時メンバ−全員19歳。オレより3つくらい上で、オレら日本人にとって、分かりやすい表現で、パンクロック歌ってくれたし、喋ってくれた。
  で、さっそく大阪までLIVEに行った。関西の親衛隊のヤツラが特攻服着て、思いおもいの髪型して、ツッパらかしてた。
おまけに、ボ−カルのシゲルが「じゃ、いくよ!オ−ケィッ!」って叫んだ瞬間、舞台の上に客が押し寄せ。今じゃ考えられないけど、 ステ−ジの上は、人、ひと、ヒト!!『アナ−キ−』と見に来てるはずの客で、うまっちゃった。客席の椅子は壊れちゃってた。
  メンバ−と客は、一体となってと、、よく、LIVEのことを語られたが、、、あの状況だと『アナ−キ−』のメンバ−ってキツかったんじゃないか。
それが、LIVE初体験だった。心の中が、ますます、燃え上がってきて、うわッ!こりゃ、できる!オレでもデキル!やれば、できる!なんて、 コメカミひりひりさせて、ますます、[レコ−ドのジャケットを作る人]それも、『アナ−キ−』のLP!!って。目標は定まった。
  学校の課題も、ますます音楽に関係するものばっかり!『SEX PISTOLES』『THE CLASH』とか『アナ−キ−』をモチ−フにしたものだらけ。
友達集めてアナ−キ−親衛隊つくったり、パンクバンド『革命』つくって歌ったり、、、、で。ステッカ−作って売ったり、腕章作って売ったり、 LIVE会場借りたりして、チケット売ったり、、、、ha_もう、商売しちゃってる。でも。高校サッカ−も、忘れずやってた。
毎日、勉強以外で忙しくて、ますます、寝る時間もなくなったので、授業中よく睡眠とってた。
  高校3年のとき、地元に『アナ−キ−』がLIVE TOURでやっと、やって来た。なんとしても、メンバ−に直接会おうと、、
仮病で学校を休み、、、会場に入ってくるのを待った。親衛隊のみんなで待ってると、メンバ−がやって来た。緊張してしまったが、 喋りかけたらイメ−ジしてたとうり気さくに答えてくれた。もちろん、オレらはガキの集団だけど。ほんと、気さくな、アニキのように。
[レコ−ドのジャケットを作る人]になるには?って聞いたら、、「まずは!東京こなくっちゃ!話んならねーよぅ!」それが、答え。
もちろん、LIVE中も頑張ったが、メンバ−がいった居酒屋にゾロゾロくっついて行っちゃー、いろいろ喋った。まだ呑めない酒も呑んだ。
今、あんな気さくな、アニキって少なくなったと思う。..........ほんと、タレントじゃ、なくてパンクロック!のイメ−ジね。これが。
  高校3年なって、進路のことで先生に呼ばれてさ、「サカグチ、どーする?」なんて、言われて。
じゃ、てんで。自信満々で「まずは!東京行かなくっちゃ!話んならねーよぅ!で、レコ−ド会社!」とか答えたら、
「サカグチ、バカ!大卒しか採用してないよ」とか言うから『アナ−キ−』だって高校中退なのにーって、食い下がっても。
ミュ−ジシャンは世界が全然違うのって、、、、、なんだ、そりゃ。有名じゃなきゃ、ダメ。とりあえず、実力をみんなに認めてもらわないと、、
  あー違う、、ヤクザな世界じゃねーの、、、、いきなりデビュ−したいのに、、、、、、
だったら「高卒で東京勤務で、給料の高いとこ!」まず、だ。って就職試験受けることにした。で、できる限りやって。
まずは、その会社で一番のグラフィックデザイナ−を目指すことにした。
  ところが、勤務は大阪でしょ。週刊誌の中の企業広告のデザイン+コピ−の仕事。死ぬほど忙しいし、毎日、、毎週、、山積みの仕事がやってくる。
  言葉使いからして、わかんない。凄くバカなオレには難しい仕事だった。一日中、人を集めるための広告作りをした。
会社の先輩や、アルバイトで来てる先輩のクリエ−タ−や、カメラマンのみんなには、もちろん。お客さんにも、社会人とは、生き方はとか、、、
ほんと、勉強、勉強、勉強させられた。
  で、、、、どうしたら、、[レコ−ドのジャケットを作る人]になるには?っていうクゥエッションだけには、
みんな答えては、くれなかった。で、、、、、、、あっと言う間に過ぎてしまった。
なんとか、ここでの仕事のおもしろさが理解できたのは2年くらいかかった。そうだなぁ。デザインは奥が深くて、長い道だっ。ってことも。
  そん頃って言ったら、自分を苦しめる事が、オレの最高の元気の素。だった。時間が、ない。イイ発想が浮かばないぃい。苦しんだら、苦しんだだけ、 イイヤツが生まれた。その時もオレが最低だ、、って思いながら自分の作品を、眺めては、もっと、もっと、、って、上を見た。ひとつ上にあがっては、 また、そこで、自分を追い詰めて「オレが最低だッ」って、また、もがき苦しんでみた。で、結局、、自分を苦しめる事が、オレの最高の元気の素。だった。
  それでも、LIVEはオレに元気くれるから、無理しても『アナ−キ−』とか『ARB』『THE ROOSTERS』とか、よく行った。
給料のほとんどを、音楽につぎ込んでたと思う。でも、なんだ、かんだと、独りで悩んで苦しんでたな、多分。会社以外に友達もいなかったし、、、、
  19歳になったくらいに、休みもらって。どうしてもPUNK ROCKの出たLONDONに行きたくって、初期衝動にかられて旅に出かけることにした。
一人旅は、不安だったが、大阪よりはおもしろい1-WEEKになった。スピ−ドがはるかにゆったりしてて。でっかい公園でのんびり1日中寝っころがってたり、
いろんなレコ−ド・ショップやクラブやライブハウスに行ったことは、もちろん楽しかったけど。テイト・ギャラリ−で!。ここで、また衝動をおぼえたのだ。
  なぜか、アメリカン・ポップア−ト展をやってて、エルビス・プレスリ−のドデカイ絵が飾ってあったのね。なんか、『The Rolling Stones』の
アルバムジャケットのテイストに似てるなぁーって。それが、カッコイイのよ。ミュ−ジシャンのドデカイ絵が美術館にあるぅー!
調べてたら、アンディ・ウォ−フォ−ラって人で、NEW YORKに住んでるア−ティストらしい。シルクスクリ−ンっていうヤツだって。
  カッコイイのよ。カッコイイ!で、こりゃ、ウダ、ウダしてないで、ガンバンなきゃ!なんて、秒速で飛び込んで来た!すばらしい勉強だった。
大阪もどって、また仕事に戻ったものの、『ポップア−トとアンディ・ウォ−フォ−ラ』が気になってしょうがない。暇さえあれば本を買いあさり、
  シルクスクリ−ンって何?。アンディとは?。『The Rolling Stones』のジャケ??!!、、、、、、いろいろ考えつつ、貯金できたら、また、、、、
自分でポスタ−を作ろう『アナ−キ−』のシルクスクリ−ンって思ってた矢先、、、
  『アナ−キ−』のメンバ−がある事件で、まさかの、新聞沙汰になってしまった。なっ!な、ん、で。、、、、
当然のように「LIVE中止。今後のアナ−キ−の活動に関しては、未定です」って告知がライブハウスにも出ちゃった。
なんか、悲しくなっちゃってAh Ah Ah Ah Ah Ah Ah Ah Ah Ah Ah Ah Ah Ah Ah Ah!!!!!誰にぶっつけたらいいのやら、わからず、、、、、、、、、、
  で、やっぱ。『アナ−キ−』のシルクスクリ−ン作ろうって思って。最初のイメ−ジで[ガキが手のばしてるイメ−ジ]と[事件の新聞記事]で作った。
ポスタ−にもしよう!って。で、貯金みんなつぎ込んで。自分でお金払うポップア−トってのを完成させた。今でも大切な、第一歩!なのだ。
  ますます、「まずは!東京こなくっちゃ!話んならねーよぅ!」っていう『アナ−キ−』のメンバ−の声が、オレの頭ん中で毎日聞こえてくるようになった。
じゃ、今の会社、途中で辞めて、、でも、、、金もないしーって、、悩んでたら、運良く東京へ転勤発令が来たのだ!、、、、ウソッ!グレ−トッ!!
  20歳の夏だったか、秋だったか、そんなもん関係ないくらい大喜びで!東京へ来た。人生最高!って思えた。
ただ、仕事自体はますます、難しく。広告依頼主からは、次々に難題が持ち込まれたが、東京でのクリエ−タ−のみんなは、さらにタフで、こぞって すばらしいライバルたちになった。で、、ライバルがいる分、仕事も断然おもしろくなってきた、し、頑張れた。会社の中に寝泊まりするくらい、、、
仕事にのめり込んだし、さまざまなクリエ−タ−を、目の当たりにして、自分がメラメラ燃え出したのが、わかった。
その、そん次の冬。会社の事業実績も良く、社員旅行で、またラッキ−にも『ポップア−トとアンディ・ウォ−フォ−ラ』の街。NEW YORKに行けることになった。
 また、ラッキ−にもNEW YORK!どうしても行きたかった街だ。とにかく、期待してたより、ずぅっーと。ずぅっーと。最高!の街だった。
近代美術館とソ−ホ−のギャラリ−と。CBGBとセントマ−クス。レコ−ド屋に古着屋。JAZZ CLUB。ジョン・レノンのダコタハウスとセントラルパ−ク。いろいろ。
  なかでもMoMa近代美術館。5番街、50階立ての高層タワ−にあって、すげえっ都市型美術館だった。20世紀の美術コレクションがおもしろくて、、
マチス、、カンディンスキ−、、ピカソ、、ミロ、、とにかく、規模が違う。日本の若手画家が、一所懸命に真似しても、かなわない、、、
そして、アンディ・ウォ−フォ−ラ!、、、マルセル・デュシャン、、、ジャスパ−・ジョ−ンズ、、、イブ・クライン、、、フォンタノ、、、マンレイ、、、
写真や、ヴィデオ、映画、、インテリア、、建築、、、この目と気で、、ア−ティストたちの手で作った現物に出会えてた感動は、、忘れられないものになった。
  オレなんか、届かないっツゥ!とんでもないショックがガ−ンと!来た!死ぬ前に、なんとかしなきゃ!オレ、情けないまま終わりたくないなッ!ッと。
  『アナ−キ−』ってヤッパ活動できねぇのかなぁーって思ってたら『THE ROCK BAND』って名前でLIVEやってて、、最近『アナ−キ−』ってタイトルの アルバムが発売されたよーって聞いて、さっそくLP聴いてたら、カヴァ−が何曲か入ってて、昔の『ハ−ダ−・ゼイ・カム』って好きな曲をもカヴァ−してた。
  なんか、すぐにでも会いたくなって、その頃、渋谷にあったライブインってライブハウス行ったのね。で、前の親衛隊っぽいヤツラはあんまり居なかったし、 LIVEもブル−ジ−で、骨太な、渋い4人になってた。オレはダメモトで、プライベ−トで作ってた2枚のポスタ−を持ってったんだー。
客が退いてからも、一人ずっと居て、、ライブハウスの定員に見っからないように、トイレとかいったりして、、、ライブインって楽屋何処にあるのか分かってたから、、
マネジャ−らしき人が、出てきたから、、、四国の親衛隊長やってて、、昔っからのメンバ−の知り合いだっっっ!!って息巻いて、、、
知り合いだっっっ!!を、ほんとーに強調して、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、どうしよう、、、、、、、、で、失礼しますぅーって。
  まさか、楽屋入れちゃうとは、、、で、、、おまけに、、、「2枚のポスタ−かっこイイゼ!」って。もらってくれた。
  で、昔、地元で親衛隊やってた頃の話とかしたら、、「呑み屋、行かねぇ!」って。ウソッ!変わってない!『アナ−キ−』だ!!
  高校時代会った気さくな、アニキたちは、その、まんま。かわらず、いろいろ喋ってくれた。ギャグだらけで大笑いした夜だった。
  「今度また、世界平和ポスタ−展にプライベ−トポスタ−を作って出品するから、モデルなってください!」ってお願いしたら、 「オ−ケィッ!」って。これにも、わがまま言って、良かったって思ったし、、ギャラないけど、呑み代とポスタ−代!!って。また貯金使っちゃった。
快くシゲルは世界平和ポスタ−展のプライベ−トポスタ−のモデルを引き受けてくれて、、、それからは、、、呑みに行こうって、よく、さそってくれた。
  「新宿LOFTでオレ考えてるイベントのフライヤ−考えてよ−」って、今度はイベントのフライヤ−だぁ。
出演は『ARB』や『THE ROOSTERS』や『サンハウス』『SHEENA & ROKKETS』『PANTA』etc. とにかく。オレが聴いてきたア−ティストだぁ!
  ライブインの楽屋をたたいて入ってから、、めまぐるしく人生が回転し、、始まった感じだった。
1枚のフライヤ−!1個のイベントロゴを作るのに、ここまで震えた事はなかったかも、、、、『アナ−キ−』とちゃんと、会った。
  シゲルは、たびたび呑みに連れてっては、いろんな場面を見せてくれた。なんか、傷だらけの天使のショ−ケンを見てるみたいだった。
「サカグチって、寝てるよりポスタ−とか作ってんの好きなのかぁ!Ah! Ha Ha Ha Ha_」突然アニキが、舞い降りてきたようで、、なんか不思議な毎日、、、、
  その後すぐに、新しいアルバム作るから、、、って電話で。
『THE ROCK BAND』の『四月の海賊たち』のジャケットの依頼が、メンバ−からあった。
これが、[レコ−ドのジャケットを作る人]の最初の一歩になった。1987年の事。