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022◆「start」って何だろう。生きてゆける 勇気だから?


リスタ−トの自分を見つけだすまでに、、、こんなにまで、エネルギ−って必要なのか。自分の、人間の、無力さを感じた。1998年5月7日。オレが同じ時代に生きて、出会ったセッションしてきたア−ティストの中でも、なにか、何処かに力強い"絆"を感じた男『 hide 』の告別式があった。   あまりにも、『 hide 』という男との"再会"は、、、、、、。
  1997年のL.A.でのコト、、、、、、、、「ケンって、頭蓋骨割った時、どんな夢みたぁ?」っhideが突然オレに聞くもんだから、オレ「ただ、、ただ、、、、長く続いてる地下の通路、、、、延々と続いてる蛍光灯の下を、、、ハデな迷彩服を着て、、、担架に乗っけられて、、、何処かに運ばれていく、、イメ−ジ」だった、って言った。

  hideは「◯◯◯みたいになっちゃった」なんて、縁起でもないこと言うもんだから
  、、、、、、、、、、ただ、ただ、皮肉な夢、だ。

  1998年って年は、ほんと、すべてを逆さまにして、START!としての勇気を出す年!そう!素直に、前に向かえる準備が整ってたはず、、、、、なのに。エネルギッシュに、その創造活動を広げていこうと、、、、、はず!なのに。
  翌5月8日・9日、『BUCK-TICK』は日本武道館にて、TOUR 「SEXTREAM LINER」のファイナル公演を開催した。この、ファイナル公演で、強く印象に残ったのは、謎!の機材トラブル。
  突然のU-TAのベ−ス、そしてIMAIのギタ−が相次いでの事故で音が鳴らなくなったのだ。何故だか、解らない、、、、、そして、演奏中断の中、、、、、、ATSUSHIは、独り、マイクロフォンを握りしめアカペラで、、、、オ−ディエンスに向けて、、、勇気を出して歌い始めた。その唄は「COSMOS」だった。

     僕を狂わせて欲しい
     小さな手の平には 永遠の様な世界
     何故に僕たちは生きる 暗闇走る様に 愛さえ見失う
     感じるかい僕の声 感じるかい それは愛
     コスモスが咲き乱れる この世界の果てに
     血にまみれた 愛だけがそこにある
     見えるかい子供達よ 歌 唄いながら
     君に似てる 愛だけがそこにある
  初めてかも知れない。そんな、心を大きく動かされたライヴ・シ−ンだった。すべてのオ−ディエンスが、キラキラ輝く、星になって、そのバラバラだった"点"が、『BUCK-TICK』と一定の方向性を持って"線"となって、、、、遥か彼方の"一点"に収束してく、、、、。そんな、素晴らしい宇宙の、誕生を見た。
  ATSUSHIのアカペラに、その武道館中のオ−ディエンスや、スタッフが一緒になっていった。その宇宙の、誕生を祝福するかのように、、、、、IMAIのギタ−が復活して、、、U-TAのベ−スが復活して、、、強い生命観をもった「COSMOS」が生まれた。この瞬間にひとつに、なれたって喜びは、一生忘れない。もちろん、すべての時間を共有した命と、、、、。

     イルカになって海を行き 彗星の様に天まで
     サンゴのように海に咲き オ−ロラの様に天まで
     せめて今夜 楽しい夢を

  何故だか、そこに。日本武道館に『 hide 』という男が、居た。そんな楽しい夢を、、、オレは見てた。
  間髪入れずに、今度は『LUNA SEA』の5人が見つめる「光」。そう、新しいアルバム『SHINE』のための撮影で、伊豆下田に向かった。5人は、それぞれが、超多忙。別々のスケジュ−ルで全国キャンペ−ンに動いていて、撮影前夜までに撮影場所である宿泊先への集結を目指した。
  ここでは、ジャケット・インナ−でのメンバ−写真。
  そして、1996年の暮れ< UNENDING STYLE TOUR FINAL Christmas STADIUM〜真冬の野外〜 in 横浜スタジアム >にて、それぞれがソロ活動をするという宣言をしてから、久々に5人が"再会"を果たす横浜スタジアムでのライヴ<1998 REVIVE 真夏の野外 >でのグラフィック用の写真撮影であった。カメラマンの『NICCI KELLER』と相談して、ロケ先は海岸、伊豆下田に決めていた。メンバ−全員が揃ってのロケ。これも、本当に久しぶりの世界だった。もう、5年ぶりかも知れない。
  プライベ−ト・ビ−チには、深夜2:00から、翌朝8:00にかけて、メンバ−5人が揃った。もちろん、初めて太陽さんが、顔を出す瞬間を狙って、「光」に会いにいこうと考えてたから、、、、早朝から、撮影はスタ−ト。夕方には、完了した。
  波乗りに燃える『RYUICHI』と『NICCI KELLER』は、、、もちろんサ−フィンを楽しむことを忘れなかったが。ほとんどのメンバ−、そしてスタッフが撮影の打ち上げも兼ねたビ−チでの夕飯もとらないで、次の仕事場に向かった。
  プロモ−ションやらキャンペ−ン、インタヴュ−、撮影、、、、、。もんと、超多忙な『LUNA SEA』だった。もちろん、オレもあんまり思い出せないくらい忙しかったなぁ。ほんと、5人とゆっくり会話もできなかった。
  狂うほど多忙野郎!タフにいかなきゃ!って自分に言い聞かせて、、、、。START!としての勇気を出そうって。

     1996年に"凍結"されちゃった『LUNA SEA』が「光」に向かって、また熱くなって、、、、その巨大なカタマリを、必死に"解凍"してるプロセスを、オレも一緒になって実感してた。長い間、待ってるオ−ディエンスを裏切らないように、、、、。

  妥協しないで、こだわる部分は、もっと、もっと、、、って感じを大切にした。そして、また『LUNA SEA』の5人が、それぞれのソロ活動で得た勇気と自信。それらを武器とした。立て続けの撮影ア−トディレクション、そしてデザインに、自分自身の魂を見つめるように、表現者に無限大に発信されてる大切なものを忘れないように、、、、、。
  6月。また、この年はワ−ルドカップも開催されていた。日本代表が初めて本大会に参加した、記念すべき「start」の年である。友人の岡野雅行は、まさに1997年の新年会で『J 』や、オレと約束してくれた世界を舞台に、戦っていた。
  その、岡野なんかと一緒に見に行った『ANARCHY』の渋谷ON AIRでのライヴも含まれた1997年11月〜12月のライヴツア−が、CD化されることと、なった。いや〜!これも、嬉しい!
  ニュ−・アルバム『ディンゴ』をひっさげてのTOUR FINAL は、破壊的に、凄ぇ〜や!!ってことで、仲野茂(Vo.)・藤沼伸一(G.)・寺岡信芳(B.)のメンバ−に、ニュ−ドラマ−名越藤丸を迎え4人での、リスタ−トを感じるライヴ・アルバムが誕生した。
  ライヴ・アルバムのジャケットデザインは、なんだか普通は、ライヴ写真を使用して、、、なんて、考えがちだけども、、、、。オレが考えたことは、、、、、、。
  まず、『ANARCHY』のトレ−ドマ−クでもある国鉄職員の服を着たガキが、「仲野茂」の仮面を被ってるってのが、イメ−ジとして生まれた。ホンモノのロックバンドANARCHY再始動!ライヴでしょ。なんだか、そのレ−ドマ−クでもある国鉄服も腕章もガキどもに、くれてやれ〜!なんて、感じ。で、それだけじゃ、ありきたりでツマンナイでしょ。、、、、で、そのガキを誘拐してるなんてシ−ンは、どうだろう!って、、、、、、
  オレがその後、イベント「故 松田優作13回忌に贈る鎮魂歌-Play Song for 13th-」でも共演することとなる、友人のギタリスト高橋CAZさんに、誘拐犯を演じてもらうことにした。
  誘拐事件が起こりそうな、首都圏郊外のベットタウンでショ−トム−ビ−っぽいロケを敢行した。潰れたボ−リング場の巨大な駐車場やら、マンションやら、なんだか寂しげなデパ−トの屋上やら、公園やら、河やら、、、、、、、で、ちょっと見たことのないライヴ・アルバムのジャケットが完成したのだ。

  『ANARCHY SYNDROME -LIVE-』 A Script Has to Make Sense, and Real Life Doesn't. スクリプトは意味なさなきゃいけない、、、そして、、、、実際の人生は、、、、、、、
  7月。そして、『DJ KRUSH』の新しい道のSTART!とも、言うべきニュ−アルバム『覚醒』のジャケット・デザインだ。
  1994年に、日本人で、ただ独り、、、、、イングランドのMO'WAXと契約し、それどころか、U.K.とアメリカに、彼にしか奏でられない「DJ KRUSH流!オリジナル!ヒップホップ」ってヤツ!をまき散らし!孤高の戦いを続けている、、、、、まさに、日本代表の男の、さらなる、ステ−ジだ。
  94年から97年の代表曲を、自らの手でメガミックスしたアルバム『HOLONIC THE SELF-MEGAMIX』をリリ−スした、その、次!のスタ−トに、ふさわしいサウンドとタイトルが用意されていた。
  オレは、真っ白な世界から、まさに生まれるかのごとき、『DJ KRUSH』の音を、、、そのまま「絵」にした。
  同時にMO'WAXと契約しリリ−スした94年のアルバム『Strictly Tuurntabilized』の国内盤のジャケット・デザインも、その、表現された鼓動に負けないように、、、、、、。
  夏。そのほとんどを、『THE MAD CAPSULE MARKET'S』の新曲VIDEO CLIPの制作に費やした。西海岸をライヴツア−で廻る彼らのスケジュ−ルに合わせての、L.A.ロケだ。新曲は『MIDI SURF』。パァ−っと、そのスト−リ−と絵が浮かんだ。
  絵コンテに、そのイメ−ジを書きなぐり!メンバ−にプレゼントした。
  出演者から、、、、。
まずは、もちろん演奏するメンバ−。MAD-MANキャラクタ−。ロ−カルボ−ダ−少年達。
  スト−リ−もシンプル。ボ−ダ−少年達が部屋でサ−フィンのTV番組を見てるでしょ。そしたら、突然、画面がクラッシュ!しちゃうんだ。少年達はスケボ−に乗ってストリ−トに飛び出していく、、、、ポジティヴに外に放つエネルギ−いっぱいで!
  高速で走ってくるMAD-MANキャラ、、、、、、スピ−ディで、、、、、、重量感たっぷりの『THE MAD CAPSULE MARKET'S』サウンドにピタリはまったカメラワ−クで、、、、。
  すべてはL.A.現地での再会を、、、オレたちのスタ−トとして、、、、、、、、、。とにかくライヴ感と!生きた映像!
  カメラマンの『NICCI KELLER』と2人で、L.A.に向かう。行きから、座席もアップグレ−ド!が叶い、、、、、、なんとも、ラッキ−!早速、シャンパンで乾杯して、『MIDI SURF』が物凄い作品に仕上がるよう、お互い勇気付けるのだ!
  現地コ−ディネ−タ−&制作オ−ルスタッフと早速ミ−ティングして。出演者のオトコの子とも会った。ベニス・ビ−チの不良のアンチャンだった。ちょっと酔っパラってたなぁ、、、。(あっ!オレも一緒か!)、、、、、、、、まぁ、ともかくメイン・キャラクタ− & ボ−ダ−のボス役は、もう一発!で!気に入った!
  あとは、ロケハン!そして、すべての機材のチェック。ライティングの確認。夜はボ−ダ−仲間のスカウトだ。NICCIと2人。不良のアンチャンが案内してくれるベニス・ビ−チまで、ロ−カルボ−ダ−達を見つけるべく、遊びに行った。アンチャンの部屋は、オマワリからいただいたイエロ−カ−ドで壁中が、飾られてた。(笑えるくらいヤンチャ野郎!)
  しばらくすると、ボ−ダ−仲間が集まってきた。海岸沿いの道路まで、みんなでボ−ドに乗っかって遊びまくった。みんなテクニックがあって、もう夜どうし、ハシャギ廻った。付近のオバさんが、窓からビ−ル瓶を投げてきて、「静かにしろぉ〜オ!!!」って怒られたも、、、、、した。オレにもスケボ−のテクニック教えてくれたり、、、、。月も星も、夢の中みてぇに綺麗で、、、、、すべてが、、、笑ってた。
  長〜い夜のおかげで、すっかりロ−カルボ−ダ−少年達とも仲良しになって、CLIPの出演者も5人!決まった!
  撮影の準備が、整ってホテルに帰る途中。、、、、、なんだか、『 hide 』が、L.A.で住んでた家の前に、挨拶に行きたくなって、さ。それで、夜中に家の前に車止めて、、、、独り、静かにタバコ吸いながら、、、、、、、、、
  、、、、『 hide 』も大好きだったバンド『THE MAD CAPSULE MARKET'S』のVIDEO CLIP制作が、すべて、うまく進みますように、、、、、。
  、、、、、なんて、願いをかけてみたり、、、喋りかけてみたり、、、、、。

  Venice StreetとVenice Beach Hostelを使って、早朝から、日が沈む直前まで、、、、。ほんと、ってくらい。すべてが、スム−ズに撮影は進んだ。ロ−カルボ−ダ−少年達が、パトロ−ル中のオマワリをからかってたくらい、っか。ヒヤヒヤしたのは、、、、。
  さすが、映画の街 = L.A.だ。いつの仕事でも、街全体が撮影協力してくれるイメ−ジが、大きくて、、、やさしい、、、あたたかい、、、、勇気が、また湧いてくる。
  テレシネにも、NICCIと2人、、、前夜、一緒に呑みながら、カラ−リングに関する話をした。そしてP.O.P.っていうスタジオでのカラ−リング作業なんだが、此所の空気感は、もう素晴らしい。東京には、ちょっとない。やっぱり映画の街 = L.A.だ。モノを作ってる人々が、実にのびのびした空気で生きてる。、、、、、、オペレ−タ−のジ−ノって人も、直ぐにオレなんかが、言葉で伝える"色"ってモノを具体的、現実に再現してくれた。日本のVIDEO CLIPの中には、まだ見たこともない"色"ってモノにこだわってたから、本当に感謝してます。東京に帰ってからは、その7月ほとんどを、独り隠って、サカグチケン流!オリジナル!スタ−ト!になる映像編集に精神を集中させた。、、、、、なんと、しても、映像の、新しい産声が、聞きたかった。そんな夏。

     そして、LUNA SEA<1998 REVIVE 真夏の野外 >が終わり。直ぐに、お互い超多忙同志!の『J 』と、1週間のオフを利用して、、、、。なぜだか、またL.A.に行った。『 hide 』が、L.A.でレコ−ディングも終えてて、リリ−スした後に、日本公演もやろうと計画していた『 zilch 』のメンバ−達や、『J 』がその1997年のソロ活動で一緒したア−ティスト達との、再会でも、あった。ライヴ見たり、クラブ行ったり、、、、、あぁ、今日は、何をやろうかなぁ〜なんて、、、、、   RAY McVEIGH、 PAUL RAVEN、JOEY CASTILLO、SCOTT GARRET、FRANZ K. STAHL、、、、、annd more.
気分良い空気に、な〜んにも仕事も、なく、、、、のんびりと、カラダを預けた感じ!とにかく!オフ!オフ!オフ!オフ!なのだ。何も考えないってコトじゃ、ないが、、、、、(ウチの事務所からは、仕事の連絡はホテルにあるし、、、)
  そして、LUNA SEA<1998 REVIVE 真夏の野外 >が終わり。直ぐに、お互い超多忙同志!の『J 』と、1週間のオフを利用して、、、、。なぜだか、またL.A.に行った。『 hide 』が、L.A.でレコ−ディングも終えてて、リリ−スした後に、日本公演もやろうと計画していた『 zilch 』のメンバ−達や、『J 』がその1997年のソロ活動で一緒したア−ティスト達との、再会でも、あった。ライヴ見たり、クラブ行ったり、、、、、あぁ、今日は、何をやろうかなぁ〜なんて、、、、、   RAY McVEIGH、 PAUL RAVEN、JOEY CASTILLO、SCOTT GARRET、FRANZ K. STAHL、、、、、annd more.
気分良い空気に、な〜んにも仕事も、なく、、、、のんびりと、カラダを預けた感じ!とにかく!オフ!オフ!オフ!オフ!なのだ。何も考えないってコトじゃ、ないが、、、、、(ウチの事務所からは、仕事の連絡はホテルにあるし、、、)

  人生の中でも、、、、ゆったりとした時間との関わりは、さまざまなコトを教えてくれる。  生きてゆける 勇気だから 答えなんて 意味もなくて 運命なんて 乾いた涙の
  空を見上げるから 見上げていたいから
  生きてゆける 勇気だから 答えなんて 意味もなくて 運命なんて

ホテルの屋上のプ−ル・サイドに寝転がって、ただ、雲を眺めてたり、、、、星を眺めてたり、、、、
、、、、、あぁ、今日は、何をやろうかなぁ〜なんて、、、、、
  生きてゆける 勇気だから 答えなんて 意味もなくて 運命なんて
  「start」って何だろう。生きてゆける 勇気だから?