SAKAGUCHI KEN FACTOY,inc. 2-14-10 Misyuku,Setagaya-ku,Tokyo,Japan 154-0005 TEL:03-3424-2304 FAX:03-3424-2341
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021◆オレにとって忘れちゃならない、「dead start」、、、、、
    1998年5月2日。



  1998年って年は、ほんと、すべてが逆さまになったのかも、知れない。そのくらい、衝撃的な人生を見た。そして、そいつは今でもオレにリスタ−トのパワ−とアイデア、、、そう、いつもSTART!としての勇気をくれてる。遥か宇宙から、、、。
  この年『BUCK-TICK』は、年頭からエネルギッシュに動き出していた。1月。シングル『囁き』のクリップを撮影、その場所で、既にニュ−・シングル『月世界』のジャケット・アイデアを考えていた。これも、オレの夢の中に登場したヴィジョンだった。誰もいなくなった、その世界は、何処なんだろう、、、ともかく、オレは独りになってガムシャラに泳いでた、、、、誰かを探すように、、。
  そこには、極彩色に輝く、巨大で、見たことのない美しさの、、、手のひらが、天を突き刺すように、、オレを呼んでいた。そいつを、どうやったら、写真に出来るのか?とにかく、写真のリアリティが、、、、どうやったら、、、なんて考えてた。
  『囁き』のクリップ撮影は、明け方まで、かかってしまい、、、。が、例によって、西麻布のバ−へ。そこで、呑み始めたのだが、、、、。
1998年『 hide with Spread Beaver』として、そのスピ−ドをあげて!!!リスタ−ト!!!!GO!!!!!!!して、さらに音楽業界に殴り込みにかかる『 hide 』が居るではないかい。まっ、いつもの、メンツが揃ったバ−では、あるが、、、、。「ようッ!ヒサビサァ〜!」なんて、やってるウチに、マスタ−から、、、「雪、、!雪!雪!ガンガン降ってきましたぁ〜」昨夜からの雨が、雪!雪!雪!に変わっちゃったらしいのだ、、、、、。ほんと、偶然にも、ひさびさの再会。そんでもって、ひさびさの雪!雪!雪!
  そんな、こんなで、お互い凄げぇ呑んでの、酔っぱらい同志が、、、、、、、『 hide 』が帰る。× オレが帰らせない。対決で!ケンカおっパじめたので、あります。マスタ−やIMAI。ヒロシくんが止めてはくれたものの、、、カナリのイキオイでムカツイテル!!!オレ。雪!雪!雪!しかも、朝!!じゃ、、、、、。けっきょく、いつものようにATSUSHIん家で、次の夕方まで呑んで、呑みまくって、、、蕎麦屋やってなくて、ラ−メン屋で、我慢して、、、。ほとぼり醒まして、、、みんなに迷惑かけちゃって、、、反省、反省、反省、、、でしたワ。
  時同じく、再始動した『LUNA SEA』も、いよいよレコ−ディングに突入する。そして、先行してシングル候補の楽曲も、かたまった。スタジオの帰り道、その楽曲を描いてる『J』と寿司屋に立ち寄って、ヴィジュアルのイメ−ジについて、キ−ワ−ドなるものを、もらった。、、、、、それは、「光」だと、いう。「光」、、、、、それを、、、、どうやって?   ここでも、また、、、、、そいつを、どうやったら、写真に出来るのか?とにかく、写真のリアリティが、、、、どうやったら、、、なんて考えてた。すぐさま、カメラマンの『NICCI KELLER』と相談して、ロケ先は海岸。、、、そして、、、、初めて太陽さんが、顔を出す瞬間を狙って、「光」に会いにいこうと考えた。もちろん、持ち物は考えた。水の噴霧器や、透明なアクリルのオブジェ、鏡、、、、何度かトライしては、みるものの、ピシャリくるカットは、なかなかフィルムには写ってくれなかった。週末4トライして、、、やっとの思いでシングル『STORM』にピッタリの「光」が撮影できたが、、、、これも、、、もはや、、、いや偶然の産んだジャケット第1号って、呼べるものとなった。『LUNA SEA』の5人も、「光」をテ−マに出来上がった、そのカットを見て、何かを感じたはずである。そして、怒濤のアルバム・レコ−ディングに、また突入していったので、ある。
  この『NICCI KELLER』との、セッションから『BUCK-TICK』ニュ−・シングル『月世界』のジャケット撮影の方向性にも自信と、勇気が生まれた。手のひらを、かなりの大きさで制作することにした。そして、また、日の出を狙って千葉九十九里浜を目指した。ライティングにも、細部にまで、こだわって、偶然プラス・アルファ−を求めた。したがって、撮影はすべて4×5。ワンカット撮影するたびに、細かくポラロイドでチェックしながら、自分自身が夢の中で、彷徨った世界観を追求することが可能だった。みなさんから、『月世界』のジャケットってCGで制作したのですか?なんて、聞かれると、思わず、ニヤリとするくらいの仕上がりになった。
  そして年頭から、彼らは『TOUR SEXTREAM LINER』で全国TOURに、精力的に向かった。
  これまでのジャケット・アイデアは、メンバ−のスケジュ−ルとのからみで、比較的、スタジオの中でのモデル + セット撮影が、その主流だったオレだが、この年は、年頭から違ってた。ジャケット・アイデアをカタチにするために、太陽の「光」に向かったのである。なにかが、そう、その方向に誘ってくれた。頭カチ割って、復活はしたものの、、、。イキナリの忙しさで、リハビリさせてくれた1997年、じゃない。そう、じゃない、なにかが、「光」に向かわせてくれた。
  そして、また10年ぶりの再会となった出来事もあった。1988年、彼らが『THE BLUE HEARTS』時代に、シングル『ザ・ブルーハーツのテーマ』ジャケットデザインや、カレンダ−の仕事をやって以来、、、そう、『ザ・ハイロウズ』のニュ−・プロジェクトにア−トディレクタ−として誘われたのです。ヒロトやマ−シ−。何度かの新宿ロフトでのライブ・イベントでは、顔を合わせているものの、、、。ほんと、久々の再会になった。レコ−ド会社や、レコ−ディング・スタジオで何度かミ−ティングをかさねて、、、シングル『千年メダル』シングル『真夜中のレーザーガン/アウトドア派』や、アルバム『ロブスター』のジャケットデザイン。そして、Tour1998『メイン・ロブスター'98』におけるグラフィックワークをやること、と、なった。
  お互い照れもあったが、『ザ・ハイロウズ』のメンバ−は、みんな本当に素直に!オレなんかが考えるグラフィック・ワ−クを楽しんでくれるスタンスだった。まずは、新しいア−ティスト写真の撮影だ。カメラマンはもちろん、1988年の『THE BLUE HEARTS』のパンフレット。『SCHAFT』でのLIVE撮影で、一緒に仕事をした『有賀幹夫』。何故だか、浅草の花やしきに「日曜」を楽しむよ!よろしく!感覚で、お出かけして、遊園地でアトラクションを楽しみながら、撮影した。何やってんだか、大人とは思えないくらいの、はしゃぎッぷり!!!。帰りには、浅草でのライブの後とか食事した、例のレストランで、ビ−ルをグビグビやっては、、、尊敬するロック・ア−ティストの話や、自分たちのル−ツ・ロック話、懐かしのプロモビデオ話でワイのワイの!当たり前のごとく、盛り上がった。10年どころか、20年ぶりに再会したガキの頃の仲間みてえぇ〜!実に、子供っぽい大人!集団では、ある。そんな、感じでスタ−トした。冬だけど、日ざしの暖かい。なんとも、「青空」を連れてくるバンドだ、、、。
  ジャケットデザインには、イラストがいいなぁ〜って、みんな考えていて、、、。『ザ・ハイロウズ』のメンバ−のアイデアで、『松本人志』に依頼することと、なった。こちらも、楽しみである。『ザ・ハイロウズ』を、松ちゃんの「一人ごっつ」のオダイ!にしたみたいで、、、。どんな、「絵」で解答されるのか?、、、、笑えるロブスターが、いっぱい生まれたらいいなぁ〜!なんて、、、。
  『中山美穂』はGLAYのTAKUROが彼女のために書き下ろしたシングル『LOVE CLOVER』のレコ−ディングをL.A.で行なうことと、なった。1998年は、1月から、海外ロケ。しかも、またもや、L.A.。1995年に彼女の仕事で、また『 hide 』『J』の、もうひとつの仕事のグランドにした場所で、ある。何度か出向いた所では、あるのだが、、、、。デモ・トラックを聞きながら、イメ−ジしたシ−ンは、、、、広大なグリ−ンであり、四葉のクロ−バ−がたくさん見つかりそうな、爽やかな春のポジティヴな生命観に溢れた世界だった。アイルランドとか、イングランドとか、、???しかし、さて、あぁー広大な砂漠に、突然作られた街=L.A.の乾いた世界の街にそれは、、、、はたして、、、存在するのか?、、、、謎だったが、、、。
  リサ−チしたみたら、なんと、L.A.はハリウッド!そう、世界映画の街!、、、ありました。イメ−ジにピシャリ!くるロケ場所が、、、。四葉のクロ−バ−がたくさん見つかるような、何処かの天国みたいな、、、その世界。
  さっそくカメラマンの舞山秀一さんと、、ロケハンして、、、。買い出しに出て。『中山美穂』がそこで、遊べる「空中ブランコ」をホテルの部屋で一緒に作った。ヴェニス・ビ−チまで行って、すてきなビニ−ル製のソファ−を買い込んだ。そしたら、この広いL.A.なのに、偶然にも!スタイリストと衣装を買い込みに来てた美穂ちゃんと!バッタリ!あるSHOPで会ったりして、さ。彼女、どっかの少女みてぇにキャラキャラ!はしゃいで笑ってた。ほんと、彼女もL.A.の街に、すっかり溶け込んで、馴染んでた。   、、、、なぜだか、プロモ−ション・ヴィデオなんて作る予定なんかないのに、、、中古屋さんで見つけた8mmFILMカメラを買った。しかも、日本じゃ現像すらできないシロモノなのに!、、、せっかくのFILM-MAKEのL.A.!現像、こっちでやりゃ、イイじゃん!って、ことで。8mmFILMカメラ!これも、オレなんかが、廻すことにした。
  何処かの天国みたいな、、、その世界で、シュ−ティングした。もちろんキラキラした陽射し!グリ−ンが何処までも鮮やかで、まさに天国だった。また8mmFILMカメラを見て、美穂ちゃんは、ますますキャラキャラ!はしゃいで笑ってた。「空中ブランコ」に乗っかり、ソファ−の上にゴロンって、寝っころがって、まさに少女!って感じ。、、、、日本で会ってる時とか、いわゆるパブリックなイメ−ジの、大人びた『中山美穂』じゃ、ない。見たことない楽しい撮影になった。
  撮影が終わってから、みんなで、ウエスト・ハリウッドにある美穂ちゃんお気に入りの、スカイ・バ−へ行くことにした。そこのバ−からは、L.A.が見おろせて、、、、しかも、、、ソファ−に寝っころがったら、今にも落ちてきそうな、、、何億もの星!!星とキラキラ出会えた。こんな素晴らしい光景は生きてて、今まで、ホント見たことないくらい綺麗で、ドラマチックだった。
  何億もの星!と挨拶しながら、葉巻きとバ−ボンで、長い夜と、おつき合いしたんだ。
  東京に帰ってから、シングル『LOVE CLOVER』のア−トワ−クを進めていく中、L.A.で撮影した8mmFILMを美穂ちゃんが是非とも見たいって言うので、ラッシュをスタッフを含めて試写会をしたところ、、、。なんと、VIDEOクリップ『LOVE CLOVER』を制作することと、なった。監督を依頼されたのだ、、、。もちろん、スチ−ル撮影中に遊びで廻してたFILMなんだから、面白いんだけど、、、。これだけの材料じゃ、ってことで。L.A.で撮影した素材は曲サビにって、決めて!、、、じゃ、その素晴らしい何処かの天国的場所!を東京で思い描きながら、唄を口ずさむ『中山美穂』を描くことにした。リップ・シ−ンは、ここまでか!っていうくらい、過去のオレが監督したVIDEOクリップとは、まるきし逆さまで、、、16mmFILM長廻しの作品に仕上がった。永々に続いてくような、、、、、。
  東京での『中山美穂』も、L.A.の彼女とは、まるきし逆さまで、切ない表情をみせながら、、、『LOVE CLOVER』を歌った。なにかを、祈るように、、、。

  続けざま、アルバム『OLIVE』のジャケットデザインなのだが、、、、そのために、美穂ちゃんは「四葉のクロ−バ−」をいっぱい持ってスタジオに来てくれた。、、、、こんな、たくさんの「四葉のクロ−バ−」を持ってるなんて、、、、!。それぞれに、名前とキャラクタ−を付けてかわいがってるみたい、だった。まるで、子供が遊ぶように、並べては、ピ−ス!まったくピ−ス!ピ−ス!ピ−ス!
  東京に帰ったら『LUNA SEA』のベーシスト『 J 』のソロ・プロジェクトでギタ−をかき鳴らしてたフランツ・ストールが、その当時に在籍してたバンド「FOO FIGHTERS」がちょうど来日公演をしてるってんで、、。『 J 』と一緒にフランツのステ−ジを見に行ったりした。フランツとも久々の再会!オレ個人的なイメ−ジだと、「FOO FIGHTERS」でのステ−ジより、『 J 』の隣がピシャリ!くるなぁ〜、、、、なんて考えてた。
  で、『LUNA SEA』は続けざまシングル『SHINE』そして、アルバム『SHINE』が、明解に見えてきたとのこと。「光」ってモノを具現化するべく、また、今度はぜったい天候も味方してくれるようにと、サイパンに向かった。カメラマンの『NICCI KELLER』と2人だ。2日間でサイパン島をグルグル廻って、海に潜ったり、プ−ルでスキュ−バ−ダイビングなんかもやりながら、水のある星=地球から見た「光」を表現しようってことで、、、。何故だか、東京近郊でガタガタ撮影するよりも、スム−ズにいろんなヴァリエ−ションが撮影できてることに感謝した。2人のセッション・リズムが気持ちいいサウンドを奏でてきたみたい、だった。
  このサイパンでの「光」セッションの撮影カットの中から、シングル『SHINE』そして、その後のシングル『I FOR YOU』のカヴァ−を飾ることと、なった。
  そして、『LUNA SEA』ひさびさのアルバム『SHINE』のための「光」とのセッションを、考えはじめた。このアルバムは、どうにも偶然では表現できない!って思いはじめて、、、また、何度となく5人とミ−ティングするうちに、、「真夜中に車をブッ飛ばしてたら、、、なんか、物凄い光に、自分が包まれたイメ−ジが、、、、、!あるよ!ある!」って話が出て来た。そこで、何度か、オレが感じた絵は、永遠と続く高速トンネルの走行中だったが、、、、。また、これも、日本じゃ撮影許可がおりないなぁ、、、、って。
  で、またまた、L.A.に行くことにした。L.A.はハリウッド!そう、映画の街!、、、、ダウン・タウンの2ndに、さまざまな映画で撮影に使用されたトンネルがあるらしく。またまた『NICCI KELLER』と2人。すべて、現地のスタッフとやることなった。すぐさま、走行撮影が可能な、撮影用車両をリ−スして、ライティングの機材、そして、、、、ポリスマンもスタンバイ・オ−ケ−!
  2ndのそのトンネルは映画「インディペンデンス・デイ」の中でも見たトンネルだった。夕刻から、オ−ル・スタッフが集合。撮影準備が整ったら、交通を規制してくれた。撮影につき通行止め!、、、日本じゃ、考えられない、、、、。
  規制してくれたポリスマンは、モデルも役者も居ないのに、ただライトをたくさん仕込んだ撮影用車両が、何度も繰り返して走り抜けてる、妙な撮影に興味あるらしく、、、、「いったい何を撮ってるの?」って、、、、。で、オレ「光」!、、、分かってもらえないらしく、、、、、まぁ、ちょっと変わったシュ−ティング!が、しかし!これにも、オレとNICCI、2人の中には、完成カットがはっきりと同じモノが見えていたから、、、、。撮影するたびに、細かくポラロイドでチェックしながら、アルバム『SHINE』のイメ−ジに近い世界を、追求していった。
  1998年、年頭にもらった「光」ってキ−ワ−ドが、、、ひとつ、また、ひとつ、、、視覚的に捕らえられてたが、、、、。それでも、まだ、まだ、無限大に広くて、無限大に小さな、、、その「光」の世界は、難しく、、、永久の、、、ミステリ−なんだなぁ、、、、。なんて、深く考えさせられた。
  『LUNA SEA』は、シングル『STORM』をリリ−ス。そして、怒濤のごとくプロモ−ション活動。また、1996年、突然の活動休止を告げた場所、横浜スタジアムでの復活ライブ『1998REVIVE真夏の野外』に向けての準備が、既にスタ−トしていた。ともかく、メンバ−は、狂うほど多忙を極めてた。現在のバンドの中で、、、多分、一番、忙しいんじゃないかって思った。
  で、またオレも飛び回ってた。短時間で、ビシビシ!決めて進まないと、倒れちゃうから!精神をシャンとさせて、、、、
  仕事だけども、1ヶ月に1回は、外=海外に向かってたから、、、、なんか、気分転換も出来てたから、大丈夫!いろんな発見や、出会いも、あるし、、、、。タフにいかなきゃ!って自分に言い聞かせて、、、、。

  また、ある日、、、。『LUNA SEA』との打ち合わせで、レコ−ド会社行ったら、『 hide 』と、偶然会った。狂うほど多忙野郎!まだまだ、、、いるじゃん!って。ハデにケンカして以来だぁ〜、、、っていってもお互い、その理由すら覚えちゃいない!もうひとりのDRUKER!hide!『 hide with Spread Beaver』としての、最初のシングル「ROCKET DIVE」のVIDEOクリップが、完成まじか!らしく。その、ラッシュを見てるんだァ!ってんで、、、オレ、ハンバ−ガ−とコ−ラ−を進めてくれる『 hide 』に誘われるまま、完成前のクリップを2人で見た。、、、、、!!!凄えェエエェエエエ!ジャン!って思わず!声が出た。うれしくなった!その時点での創造力限界ィイの計点超え!ってのを、見たイメ−ジ。Ready! 3!2!1! Go! まさに、新しいスタ−トに相応しい「ROCKET DIVE」!!!!
  『LUNA SEA』とのミ−ティングの前だったから、、、『 hide 』と『 J 』そんで、オレの3人で、たわいもない会話を楽しんだら。、、、、それぞれ、、、多忙な現場に、戻った。ちょっと前なら、そのまま、メシ喰って、呑んで、、、ってはじまったのに、、、、。
今年は、、、、、狂うほど多忙を極めてる!この時代!タフにいかなきゃ!タフにいかなきゃ!
  L.A.から戻った翌日には、さっそく『ザ・ハイロウズ』のTour1998『メイン・ロブスター'98』におけるグラフィックワークがスタ−ト。『松本人志』に依頼したイラストも仕上がってきた。、、、、まさに、この曲!!!じゃん!そーじゃん!ってかんじ。、、、松ちゃん画伯は、素晴らしい。シングル『千年メダル』や『真夜中のレーザーガン/アウトドア派』は、その中から、素直に、すんなりハマったのだ!。で、アルバム『ロブスター』のジャケットになるべくして描かれた、かのような、、、、なんとも不思議に、新しい国旗にも見えちゃいそうな、、、ロブスター!!の誕生!!でした。『ザ・ハイロウズ』のメンバー全員!拍手!!!をもって、お迎えしました。

  Tour1998『メイン・ロブスター'98』パンフレットのためのシュ−ティング!そのいち!これも、メンバ−のアイデアで、その昔、行ったことある巨大な、室内プ−ルを持つ常夏のハワイアン・リゾ−ト・ホテルの中で、スタ−トした。、、なんとも、笑える、スタイリング!は、全員で紅白のシマシマ着て、、、ロブスタ−に乗って、、、、、、なんて、まぁ、パンフレット見た方が、、、イイから。説明できないくらい、ハッピ−になる!そう、ハッピ−に!ハッピ−に!SO!HAPPY!なんです。撮影してたら、そのカッコ良さ!に。ちょうど仕事で来ていたハワイアン・ダンサ−ズのおねえさん達に、捕まっちゃってサインを求められてるのが、おっかしかった。、、、だって、両軍団とも、非日常の世界なんだから、、、。
 ともかく、メンバ−のシュ−ティング!そのいち!は無事に、終了したのだった。その足で、『TOUR SEXTREAM LINER』で全国TOURに出てる『BUCK-TICK』を追っかけ、オレなんかの地元、そう故郷の高松に、今年初めて、ひさびさの休息がてら、戻ることにした。今TOURは、まだ一度も顔出せてなかったし、、、。例のごとし、前日から、呑みはじめて、、、ライブを楽しんだあと、また朝まで、呑み続けた。地元の数少ない友人達とも、会えて、、、。しばし、羽を伸ばして、伸びきって、伸びちゃった。
  だ、け、ど、、、。引き締めなきゃ!また東京戻って、翌朝からは、『ザ・ハイロウズ』のシュ−ティング!そのに!なのだ!
  1998年5月2日。その朝、オレは早朝出発のシュ−ティングだったため、、、。夜明け前のまだ静かな時間、家を出て駐車場に向かおうって、、、、歩いてたら、、、、。なんか、見なれた車が、通りに止まってた。エンジンかかってるし、、、。もしや!って思ったら、まったぁ!!!この広い東京なのに、偶然にも!『 J 』が、『 J 』じゃん!おまけに、ベ−シスト/プロデューサ−の奈良敏博さんまでも、、、。お互い、狂うほど多忙だけど、ガンバロウ!なんて、妙な、朝イチの挨拶を交わして、、、。
  で、東京近郊での『ザ・ハイロウズ』のシュ−ティング!そのに!も、天候にも恵まれて、、、ホント、気持ちイイ仕事になった。それで、スタッフとも笑いながら、ハシャギながら、、、東京へと車を走らせてた。、、、、なにげなく、携帯に残った『 J 』の留守電を聞いたのだけど、、、「;。;l:lkじhlkじひhgjっっp@おお@lpkっじひjg6x14すぐい8!!!!!」、、、、、、怒ってんのか、酔っぱらってんのか、、、いや、ヤツは何時だって冷静な男!、、、、、、なんでだろ?!さっき、早朝、会ったばっか!で、いたって普通だったのに、、、、。
  オレは、また、後で、、、、。って思って、、、。まぁ、スタッフを送ってから、、、、、、、、、、、、普段は、めったに見なかったカ−ナビのTVを、これも、また、、、、ビックリする画面が、、、、イキナリ!突然!オレの体全体を襲ってきた。
『 hide 』死亡。、、、、、、なにが、なんだか、、、、、もう、、、。わからない。わ、、、か、、、ら、、、な、、、、、い、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。なん、、、、なん、、、、、、だ、、、、、、。
『 hide 』、、、て、、、、。これ、、、、夢だわなぁ、、、、夢、、、、、よ、、、、何。。。。。。。。。。
わ、、、か、、、ら、、、な、、、、、い、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。なん、、、、なん、、、、、、だ、あ、、、、、、、、、、。
その後、はっきり覚えてないくらい、自宅周辺を、ただただ、、、車も降りれずに、、、、、運転し続けてた、、、、。

  じっと、してろ。じっと、してろ。じっと、してろ。じっと、してろ。じっと、してろ。
人間は今、移動してる、みんな、、、この星は、、、、変化してるのか、
  じっと、してろ。じっと、してろ。じっと、してろ。じっと、してろ。じっと、してろ。
オレたちは、きっと気が付くはずだ、、、本当の楽園が、どこにあるのか、
  じっと、してろ。じっと、してろ。じっと、してろ。じっと、してろ。じっと、してろ。
ぜったいに、肉体的な死後の、世界じゃない、はずだ、
良質なメッセ−ジは、かならず、届くはずだから、、、、、、、
あとは、それを、受けとるのか、、、、、、それとも、受け取らないのか、、、、
  しばらく独りになって、グシャグシャになった自分だけが、あった。つくずく、無力さを覚えた。オレはル−プに向かって変化しなければ、、、、、、、、、自分自身が1991年に開催した展覧会の言葉を思いながら、見たこともないカタチと軌跡を残して、、、宇宙に帰ってったhideに向かい会い、その顔に「dead start」を誓った。

_人は死をむかえて0にもどり_人の心に"スタ−ト"としてきざまれる_

In facing the moment df dying, a man gets back to ZERO,
And carve a sign of "Start" in his heart.