SAKAGUCHI KEN FACTOY,inc. 2-14-10 Misyuku,Setagaya-ku,Tokyo,Japan 154-0005 TEL:03-3424-2304 FAX:03-3424-2341
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007◆レッドシュ−ズ時代


  1992年あたりからが、オレにとってスッゲ−印象に残ることの多かったBAR『レッドシュ−ズ』
そこは西麻布の交差点にあったんだけど、、そう、、バス停んとこ。オレたちが帰るまで、朝まで居たなぁ-
  どんなに仕事が遅く終わろうと、、「まずは西麻布、、レッシュ−行ってみるぅ!」の『BUCK-TICK』U−TAのかけ声と共に、、
オレたちの、優しくて、永遠に続きそうな夜がBAR『レッドシュ−ズ』で始まった。『BUCK-TICK』のメンバ−5人+スタッフで
たびたび、、ってか、、またかよ!ってくらい通った。
  そう、そのころは日本の、ほとんどのア−ティストが夜な夜な集うとこだった。
オレのアニキ分の『アナ−キ−』のシゲルは、もちろん。『ARB』や『THE ROOSTERS』『BOOWY』『サンハウス』『SHEENA & ROKKETS』っていった新宿ロフトで知り合ったアニキたち、、、
その後、仕事することになった『一風堂』の土屋昌己さん。役者の三上博史さん。
  松田優作さん、内田祐也さんや北野武さん、ジョ−山中さん、、、矢沢永吉さん、、、、もう、あげたらキリないくらいLIVEやTVや映画でしか、会ったことのないア−ティストたちで、、ほんと、、夢みたいに、集まってんだワ−!hahahahahahahahahah-
誰かしら居て呑んでた。夜どうし、いかしたROCKが流れるBARはゴキゲンで、みんなア−ティスト同志が、とてもフレンドリ−で。
世代とかスタイルを超えて、コミュニケ−ションを交わしてた。
今の時代みてぇに、やれ完全個室化だ、カラオケル−ムだっ!て遮断しちゃわないで。
見知らぬ人間。対。見知らぬ人間の社交の場所。
知り合いが、知り合いを呼び、店員を介してとか、、、
  とにかく、照れ屋さんが、そのほとんどを占めるア−ティストが、新しい仲間を作るのには絶好のロケ−ションだった。
オレと同世代っていえば、これもその後、仕事することになるとは、、思いもしなかった『X JAPAN』のhide。
もちろんYOSHIKI。レピッシュのマグミ。『SOFT BALLET』のメンバ−、『ZIGGY』のメンバ−、、、、、、etc.
ほんと、これもあげたらキリないくらい。
  オレもそんなメチャクチャ酒を呑まない『THE MAD CAPSULE MARKET'S』のメンバ−やらデビュ−当時の『LUNA SEA』のメンバ−、、いわゆる仕事上での弟分を引き連れてっては、先輩BANDを紹介したし。
弟分の知り合いのBAND仲間も、いっぺぇ、、紹介してもらった。『DEEP』のメンバ−やら、FURUTON、、、、etc.
  そこでは、所属事務所や、所属レコ−ド会社を超えてのセッションが可能だった。
レコ−ド会社のスタッフ、イベンタ−、放送局やら、出版者やら、音楽ライタ−(酒呑み日記?某テッシ−)やら、
写真家、スタイリスト、ヘアメイク、モデル、アイドル、、、もうジャンルもあげたらキリなーし。
  それこそ、会議室じゃ生まれない、限られた時間では生まれてこない、、ブッ跳んだアイデアの数々!がレッシュ−で産声を高らかに、あげたかも知れない、、、、いや、、、そうだ。
  「ケンっ!あのジャケットって、何処で、誰と、セッションして、どういう処理してんだぁ-」だとか、
「なんで、こんな風にしなかったのー」だとか、「こんだぁーあんな事、こんな事してオレと遊ぼうぜぃー」だとか、
「そりゃ、ヒ・ミ・ツッ!」とか、、、、まあ、次から次。ホントよく喋っった。
  オレって一人でも、そこ行きゃ、誰か居んだろうって思って。西麻布、、レッシュ−目指した。時には、なぜだか、
草サッカ−の試合後の打ち上げ流れで、、そのまんま、ジャ−ジで。サッカ−ボ−ルもって呑み行ったり、、、
もちろん、フロアでサッカ−の試合なんて、出来ゃしねーのに。
  そうだ。カウンタ−から真っ逆さま。肩から落ちちゃったこともあって、、、
そん時、店長だったDJモンティ−ヌ(現RALLYオ−ナ−/門野=モンchan)がワザワザ、オレん家まで朝連れて帰ってくれたり、、、
で、お礼にと、1杯のバ−ボンと。スパゲッティを作ってもてなしたのだが、、、出来上がったスパをお皿によそおうと思って、、、
アッ! Ah-Ah-Ah-、、、、絨毯の上にスパも、真っ逆さま!。で、次の日、病院行ったら「ケンさーん。肩。折れてまーす。」だってぇ。
これが、オレとレッシュ−の『スパゲッティ事件』!!
008◆『Climax Together』


  映像作品として1992年リリ−スもされたBUCK-TICK横浜アリーナLIVE『Climax Together』。
これは、今まで見たLIVEの中でも、、、すべてに於いて印象に残ってる。
まずは、パンフレットの撮影から、、、。、、、、、、で、、、今までBUCK-TICKを撮影したことのないカメラマンをチョイスすることにした。
オレが会社員時代、あるビ−ルメ−カ−の仕事で知り合ってから、その独特のスタンスでポ−トレイトを切り取っていたM.HASUIが、またアタマをよぎった。
その8 X 10 の大型カメラで、、、静かに、、、、静かに、、、闇の中の、、、ろうそくのやさしい光だけで、、、
『BUCK-TICK』のメンバ−個々に、その魂をキリ取ろうって、、、考えた。
まずは、スタジオでM.HASUIは、すべての音をシャットアウトした。はじめてだ。メンバ−とカメラマンの息づかいしか、流れない、、、
その空間は、静かな戦場のようだった。
  メンバ−全員が、、、多分、、はじめてになるノ−メイクでのシュ−ティングだし、、、
1カット、1カットていねいに、ていねいに、、、進んんでいった。
from DARK SIDE.....まさに、その表現にふさわしいセッションになった。この空気感だ。今『BUCK-TICK』に必要だったフォトセッションは。
ATSUSHIの時もM.HASUIは、説明する、、「シャッタ−切る時は、動かないでください」、、、ここで、、ATSUSHIは、、、
また、M.HASUIに勝負する。どう読んだのか、そのシャッタ−切る一瞬に、ある気持ちを込め、、、
一瞬に、もの凄い形相を見せたし、フィルムに焼きつけてった。(それは、当時のパンフレットにちゃんと記録されてる......)
「アレッ凄ぇ!凄ぇもの見た」って撮影後ATSUSHIに呑みながら言ったら、、、、例の怪しい笑いで、、口元がピキッ!とウインクした。
  このLIVEでは、オレが高校の頃買って、ずうっーと使うこともなかったギタ−HSアンダ−ソン・カスタム・ヒュ−トン(通称アップルギタ−)をIMAIがアンコ−ルで使用してる。生産中止されてたこのアップルギタ−がこれきっかけで、再生産されることなって驚いたが、、、、
とにかくオレが『アナ−キ−』好きで、、、ギタ−の逸見(マリ)が持ってたアップルギタ−が、どうしても欲しくて、、、
必死こいて貯金して手にいれたもの、だけど、オレ、ミュ−ジシャンやってないし、、、
  で、けっきょくステ−ジで、、もしかしたら、、、1回も使用されなかった、かも知れないのにいぃ。
IMAI HISASHIに感謝。呑み帰りに持って帰ってもらって、ほんと感謝。感謝。ホントに映像にも残してくれて、、ど−も、ありがとう。
  LIVE当日の横浜アリーナ。そのタテXヨコを、まったく無視したセッティングに、、、オ−プニングのJUPITER、、、巨大なスクリ−ンに浮かび上がる巨大なメンバ−の影による表現。照明の美しさ、、、LIVEパフォ−マンスも、、、もうひとつのBUCK-TICK完成型を感じた。
それぞれ、このLIVEに関しては、いろんな思いがあるだろうから、、、解説はこれ以上やめちゃう。として、、、、、
  打ち上げでの話。楽屋で会った『G.D.FLICKERS』JOEと、横浜から高速でハ−レ−で、
違反になっちゃうけど、、、、、、、、、2人乗りで六本木向かおうゼ−って、、ことになった。
そのくらい、LIVEゴッキゲンで!早く打ち上げでガ−ンってみんなで呑もうと思って、、、
ともかく、オレ、ノ−ヘル!なのに、ベ−スボ−ル・キャップを逆さまに被って、それに舞台チ−ムの人から、
白いガムテ−プ貰って、ヘルメットに見えるように、デザインした。
第三京浜をJOEとふたりで。ハ−レ−で、ぶっ飛ばして打ち上げの六本木向かった。まるでコミックだろっ。
  この日の夜は、LIVEの達成感もスッゲ−あって、、いつもの呑み会とは違う、面白いものになった。
、、、、、で、いつものように六本木に呑み屋もなくなったから、麻布のオレん家で、とどめに!まだまだ!呑もうってことになって、、
いつも最後までのメンツ。ATSUSHI IMAI 八木さん マネ−ジャ− スタッフ 呑み屋の友人達、、、etc.
また、また、また、、すげぇー家族!が集まった。で、IMAIと2人乗りで、オツマミ買い行ってくるワ−って行く途中、、、
さらに呑み屋の友人が、、、「IMAIさぁーん!KENさぁーん!オツマミ買って来ましたぁー」って、、、、、、、、、、、、、!!!
  ここで、またオレ事故やっちゃいました。慌てて自転車ケツから飛び下りたときに、サンダル履きの、、、オレの、、、足の、、
オヤユビが、、、親指がぁ〜!!爪をすべて剥がしてしまったと、、、、、サァ〜ッ!
もう、昼時だったと思うけど、、、ATSUSHIが「KENっ!オレが病院クルマ乗っけて連れてくッ!」って、、、でも、、、さ、、
昨日、横浜アリーナでLIVEした男に、、、なんで、、、頼めましょうか!
、、、、レコ−ディングのスタッフが親切に、、病院連れてってくれました。
  恐怖の爪剥がし!!、、、それは、いいとして、、、
その日は午後イチからTHE MAD CAPSULE MARKET'Sアルバム『SPEAK!!!!』ジャケット撮影でしょ。
けっきょく、MADのマネ−ジャ−の電話で多少の仮眠後、、、撮影スタジオをめざした!
  ほんとオレの打ち上げClimax!は、、、いつも、、、オバカさん!
  関係ないけど、このころロンドン+東京の28人のデザイナーとともに『グラフィック・ビート ロンドン/トウキョウ』(PIE BOOKS刊)にこれまでのオレの作品が掲載され、日本とロンドンで発売された。ひとつの作品を見返したり、整理することもできて、、
なんか、1992年『BUCK-TICK』と、ご一緒に、そう、『Climax Together』やっちゃった。