SAKAGUCHI KEN FACTOY,inc. 2-14-10 Misyuku,Setagaya-ku,Tokyo,Japan 154-0005 TEL:03-3424-2304 FAX:03-3424-2341
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025◆日本人特有の破滅への美学。
    まずは、コレを脱ぎ捨てなきゃ、、、
    滅びのバカ美学。



  1999年は、ホント、ハイ!アンド!ロウ!グッシャ!グッシャ!くだらない野垂れ死んでても、おかしくないくらい。努力もしないで、ラクな方向に逃げて、逃げては、滅びのバカ美学。ってヤツに酔っちゃってた。やっぱ、コリャおかしい。素晴らしいってコトは、破滅型じゃない。ってのを、また、ここでも、多くの人から、世の中から、出来事から、教えられた、はずだ。アル中で事故って、、、、オレも、あそこで逝っちゃえば、衝撃的でラクだったし。喜んだ人もいただろうけど、、、やっぱ、この地球にラッキ−にも生を受けた限りは、オレなんかのヤルベキ仕事やらなきゃ、許してくれないだろうよ。昔っから、いろんなア−ティストや作家とか、自殺したりして、拍手喝采!前の世代からしたら、破滅への美学は、崇高だったから、高い評価が、されてんだろうけど、、、!!!やっぱ!みっともなくったって!死ぬまで生きる!前を向く!これなんだなぁ、、、って!ドブネズミの生命力!
  『DANCE2NOISE004』ってコンピレ−ション・アルバムがある。1993年にリリ−スされ、オレが、ア−トワ−クを手掛けた作品だ。参加ア−ティスト達が、最先鋭のダンスビ−トを持ち寄って、このアルバムならでは、の、ユニットで作られたデジタルビ−ト・アルバムだ。そこに、『SUGIZO』『M-AGE』『FUJITA-CB.GB.-TAKASHI』らの中。  『X japan』の『HIDE』+『LUNA SEA』の『INORAN』『J』のユニットが参加している。実は、この撮影ア−トディレクションや、アルバムのア−トワ−クが、『 hide 』そして、カメラマン『菅野秀夫』さんとの初めてのセッションだったのだ。
  打ち合わせで、初めて仕事上で合った『 hide 』は、あの、呑み屋や、『BUCK-TICK』の打ち上げでハシャギ廻ってるイメ−ジとは、かなりのギャップがあって驚いたが、、、「そりゃ、KENこそ、オメェこそ怪物だよ−!バっきゃろー!」って笑われた。
  そのファ−スト・ミィ−ティングの時点では、もう既に『 hide 』自身の中では、『HIDE』+『INORAN』『J』の新しいユニット『M×A×S×S』のア−ティスト写真のアイデアが見えていて、ロケ場所から、衣装、写真の質感、もう完璧!ってカンジだった。うぎゃー!1992年に出版されたギタリストの写真集『HIDE無言激』の登場にも、ド肝抜かれちゃったけど、まったく『 hide 』って才能はア−トの魂が輝いてるわぁっー!って、改めてコラボレ−トする自身のエナジ−にも、火が着いた。
  そこでの、ロケはなんと『 hide 』の実家がある横須賀の、解体工場だった。早朝出発ってこともあって、オレは、また、いつものように、新宿ロフトで朝まで呑んで、最後、仕上げにドラマ−『池畑潤二』さん家で、音楽談義に花咲かせつつ、また呑んで、ご機嫌で、ロケバスに乗り込んだ。まぁ、早朝からオレひとりテンション高い!高い!高い!ってカンジだ。。。。。。で、横須賀に初めて行ったが、3人は、危険な宙刷りに挑んだのだった。新しい音楽表現のノイズ生物『M×A×S×S』が、誕生するにふさわしい、ジャンクの塊が、輝いてた。こりゃ、参加ア−ティストの中でも、最高にカッコイイ最新型の写真になった。
  ア−ティスト写真の撮影を終えて、みんな帰り支度を始めた時に、何故だか、その解体工場に、ロケットのジャンクがあることが、オレは気に入ってしまった。「これ、素材にして、キャ−POP!ってコンピレ−ション・アルバムのジャケットにしよう!色はブル−な青空と!眩しい黄色!のコラボ!」、、直感が働いた。カメラマンの菅野さんに、間髪入れずに撮影してもらうことに、した。これが、『 hide 』とオレのコラボレ−トのスタ−トでもあるし、『X japan』解散直後に、打ち上げで披露された「ROCKET DIVE」ってのも、やはり、『 hide with Spread Beaver』としてのスタ−ト原点でもある。ロケット。180度変えちゃうくらいの出合い。確かに、運命。そいつだった。
  ここまで、何故さかのぼって懐古したかっていうと、、、、、。 写真集『 h i d e 』。
  そう、1999年の『 hide 』とのセッションの原点を探しダッ!だから、なんだ。オレ+ヒロシ+菅野さんの3人で、まずは、オレの勾留処分後。再度、新たな気持ちを持ってミ−ティングを持とうってこととなり、オレは、考えてたイメ−ジを残らず出した。
  まず、横須賀に、また行きたいってコト。過去に菅野さんが撮影したカットだけじゃなく。新たに生きたカットを開きたいってコト。『 hide 』の大切にしていた角膜の奥に、永遠の未来をイメ−ジさせる装丁にしたいってコト。1996年のL.A.でのカレンダ−の表紙のデザインしたTシャツをプレゼントしたいってコト。。。。わがまま、生意気、自説や、スタイルにこだわって、きっぱりと主張することにした。オレ自身の中にも、1999年の『 hide 』スト−リ−を描いてね。
  7月からスタ−トした、このプロジェクトは、オレが冷静さを取り戻す大きな、転機のひとつでも、あった。松本秀人っていうROCKの怪物くんが、最初の泣き声、叫び声をあげた場所=横須賀から、感じて、歩きたかった。『 hide 』とオレは、産まれもほぼ同じ時期だし、音楽体験ってヤツも近いモノがある。弟ヒロシをロック界に、ひっぱり入れたように、オレにも同年代の弟MASAがいて、カメラマンとして、やっぱロックのデザイン界にひっぱり入れたりして。そうゆう意味でも、なんだか、近い感じがする。横須賀も、オレの故郷・四国も海が近くて、、、、、空が広大だ。そうゆう意味でも。
  菅野さんとオレは、ヒロシ案内のもと、泊まり込みで、横須賀の空気を吸い込んでいった。『 hide 』の通った母校から、猿島、三笠公園、ドブ板、、、臨海公園、観音崎、、、ホント、底なしおもちゃ箱『 hide 』の歩いた道を、、、歩いた、歩いた。
  膨大な『 hide 』の足跡に、まだ加えようと考えてたのだ。もちろん、その写真の大半はカットされ、幸運な写真のみが、オレたち人間の誕生くらい、意味深く、強い生命力を持ってセレクトされるのだから、、、。写真のセレクションは、過去にない、壮大になった。自身が神にでもなった神聖な気持ちで、何度も何度も、繰り返しトライした。ペ−ジネ−ションを組んでは、ミニラフで本のカタチを実際に組み立て、気に入らなきゃ、また、壊しての、繰り返し。1点、1点、すべてにエナジ−を込めて、、、。
  また、印刷会社とも、装丁から、表紙の実験的なカラ−3Dホログラム印刷の撮影+印刷まで、打ち合わせも入念に行った。角膜の奥に、永遠の未来をイメ−ジさせるオブジェ作りも、構想どうりのイメ−ジでFACTORY COOL! KENと順調に進んでいった。もはや、身体を休めてる余裕もなきゃ、酒呑みドライヴなんかしちゃってるオレは居ませんってカンジ。前を向く!これなんだ!1999年の夏から秋にかけて、もう、オフィスは『 hide 』でいっぱい!ガチャ!ガチャ!賑やかで!POPで!楽しい日々!
  受け取っていただく多くのファンのコトを、裏切ったり、できないのだ。もう、ヒシヒシと感じてた。多くの人間が、見るから意見もいろいろとあるだろうが、スタッフ全員が、「裏切らない」この思いをひとつにして、完成させた作品が、1999年の『 hide 』ベスト写真集『 hide 』なのです。まだ、まだ、彼とのセッションは、何処までも、続くよ。どこまでも、、、、なんて、まだ、まだ、やり足りないくらいのカンジだったなぁ∞ガチャ!ガチャ!賑やかで!POPで!楽しい日々!永遠に続けぇ!って!∞、、、いや、まだ、まだ、やり足りない。いつまでも!∞
  『LUNA SEA』の5人は、1999・5・30『CAPACITY∞』で、入場制限なしの特設会場での野外ライヴに向けて走り出した!これまでも、ROCK史上初ってことばかりに向かった5人が、また、とんでもないコトを起こそうと、しているのだ。『RYUICHI』『SUGIZO』『INORAN』『J』『真矢』1989年に、この5人がステ−ジに初めて立ってから、はや、10年。1999・5・29+5・30。何十万人に、その瞬間は、目撃され、共有されるんだろうか!オレたちスタッフも、日夜、その約束の時間に向けて、熱きエネルギ−でのぞんだ。
  10年。いくつになっても、、、、、前に向かう、振り返らない、自分を持つコトが大切なんだなぁって いつも、いつも、、、感じ。
オレ、己が、また、拳を握って、自身の天命に向かって 真剣に生きていく、それが、なによりも、大切なコトだって、、、
何億分の1の確率。そう、誰も彼もが、物凄い幸運によって、いただいた命だから。 そんな、ラッキ−な魂が、無限大に集れちゃうって、、、、コレがLIVE! なんだって。感謝して、望まなきゃ、、、、。1999・5・30『CAPACITY∞』   コンサ−トの価値観ってのも、破壊しちゃうってくらいの勢いだった。企画・運営すべてが、IMAGEのドアを一枚、また一枚と、開け放っていくようだった。ゲネプロにのぞむ5人。スタッフすべてが、固まりになって、オ−ディエンスと産み出すモンスタ−を、思い描きながら、走った。走った。予測もつかない、ドキドキしちゃう、その瞬間を目指して。日夜徹しての、巨大なステ−ジも、多くのスタッフのチカラによって組み立てられて、もう、準備万全だった。
  5・27、、、その日。東京は突然の、強風に襲われた。オレも事務所に居て、「なんなんだぁ! この強風はぁ! 」って思ったが、連絡が、入った。何と、メインタワ−が崩壊しちゃって、復旧が難しいから、5・30『CAPACITY∞』は中止するか。延期せざるえない。

 、、、、、、、声が出なかった。なんだ。なんで、こんな自然が悪戯しなきゃ、いけないんだぁ、、、、、、、、

  直ぐさま、メンバ−はもちろん、運営スタッフは集まった。「やれる」っていう、たとえ1パ−セントでも、可能性が残っているなら、、、
  予定どうり、5・30『CAPACITY∞』はやれないものか、、、、、、「やれる」って言葉を、信じて、、、、、、、、、、、
  確かに、セットは崩壊しちゃって、復旧は無理では、ある。が、メンバ−たちも、ステ−ジと楽器さえあれば、絶対に開催に向かうって姿勢は、崩さなかった。なんとしてでも、やりたいんだ。やり遂げるんだって、強い意志。そして、それに答えようと、ひたむきに頑張るスタッフの姿がそこには、あった。オレも、廃虚みたいな、ステ−ジってのも、今の東京じゃ、いや、世界でも、見たことないから、、、、カッコイイ! いや! カッコイイんだ! これこそが、コンサ−トの価値観ってのも、破壊しちゃう象徴じゃないのか! なんて感じた。
  5・28、、、ハプニングがあっても、前を向く。進む。その姿勢のカタマリは、GO! のサインを出した。翌5・29には、店頭に10年間の、膨大なライブ・トラックの中から、セレクションしての、究極のライヴ・ベスト盤『NEVER SOLD OUT』が店頭をかざった。  『LUNA SEA』の5人+運営スタッフは、さらに、気のこもった、一体感を持って変貌して、タフなツラ構えになった。不眠・不休で、立ち向かった。オレも、テンションがガンガンあがっちゃって!やっぱ!みっともなくったって!死ぬまで生きる!前を向く!また!チカラ強く!前に向かえた!、、、、、、これも、自然界からの、トライしてみなよ、っていう、厳しくも、いや、暖かい、一発だったかも、しれない!
  膨れ上がって、肥大化しちゃってどうしょうもないくらい、みっともない身体と、魂ってヤツに一喝されたのかもしれない!

  1999・5・30『CAPACITY∞』

  10万人ってオ−ディエンスが、運営スタッフが、『RYUICHI』『SUGIZO』『INORAN』『J』『真矢』の5人が、気で結ばれた時間は、東京上空から、つながった世界の空に向け、宇宙に向けて、確信を持って放たれた!そして!未来に向かった!
  人生の中でも、こんな光景は目の当たりにしたことが、なかった。人間って、不可能ってヤツを、可能に出来ちゃう、そんな生き物なんだ。
  「光」ってモノに向かいあったア−トワ−クの素晴らしさを、再確認しながら、そして、なによりも、最高のエナジ−をいただいたし、この場所を時間を、一緒に共有した、個、それぞれが、それを、さらに、輝かせた。そんなGIGが、1999年には、あった。
  『THE MAD CAPSULE MARKET'S』が、重量感ある歪みノイジ−+タフ世界代表THE ROCK BANDにふさわしいアルバムを完成させた。オレが、VIDEO CLIPの監督した『MIDI SURF』を含むアルバム『OSC-DIS (OSCILLATOR IN DISTORTION)』の登場だ。そのバンド名も、『THE MAD CAPSULE MARKETS』。まさに、始める。リスタ−トする。未来を、確実に見据えた、宇宙人か!オメェらは!ってくらいの!急進的!先端ファ−イ−スト・ベイビ−ズ!なのである。確実に、彼らは、増殖していくMADの子供たちの、次へのステップを提示した。

  ここで、秋から、1999年の暮れに向かって、2本のVIDEO CLIPの監督依頼があった。この、リスタ−トに相応しいVIDEO CLIPには、もう既に『THE MAD CAPSULE MARKETS』のイメ−ジも確固たるモノを感じてた。

   RESTART! EVERYONE!

  オ−プニングを飾る『TRIBE』。そして『GOOD GIRL〜Dedicated to bride 20 years after〜』。この2曲に、向かった。
  『TRIBE』は、その時期オレが真剣に感じ始めてた「光」ってモノを、CGの上で、どう表現するか?そこに頭を絞った。そして、生と死は永遠に続いてるっていう大切なこと。そして、この種族はLOOP。なんでも、繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す。
 だけども、2度と同じ瞬間ってモノは、ない。って重要なこと。流されないってこと。人生って、ただ繰り返しだって思ってツマラなく生きちゃってる魂にヒントっていうか、キッカケっていうか、チャンスの希望を、肉眼でも、見せたいってこと。未だ、誰も行ったことのない星の大気圏に突入してくような、風も吹いてそうな、光を越えてく、、、、、、、、、、、、、繰り返さない。繰り返さない。繰り返さない。繰り返さない。繰り返さない。繰り返さない。LOOPのようでLOOPじゃない。この種族は先端的LOOP。
  オ−プニングのCGからして、、、、オレなりのメッセ−ジを込めて制作した。
  そして、メンバ−の演奏シ−ンは、これまでの、カメラマンサイドのMADのVIDEO CLIPには、なくては考えられなかったアクティヴな動き。そいつを、思いきってカットしちゃう!ってこととした。つまり、、、、すべて、マシ−ンによって制御されたカメラワ−クなのである。クレ−ンが、レ−ルの上を、ただ無表情に動き始める。ここでは、逆に4人の演奏の力強さが、さらに、強調されたことに驚かされた。完璧にカメラワ−クやカットイン+アウトにル−ル性を持たしちゃうってことで、他の多くのVIDEO CLIPとは、一線を引くものとなった。ライティングも、限り無きシンプル世界。誤魔化さない自信にあふれたBANDだから、可能にしたモノだと思える。
  『GOOD GIRL〜Dedicated to bride 20 years after〜』。ここには、『THE MAD CAPSULE MARKETS』の愛。それを、強く感じる。彼らが死守したい宝物。うん、未来の、20年30年40年後の献身的な花嫁。そう、輝ける未来に向かう、すべての女性に対する愛だ。
  このVIDEO CLIPのほとんどは、メンバ−や、スタッフたちが、自身の愛すべき女性のスナップを山ほど、撮影することが、スタ−トだった。この自然な、邪魔のない距離のスナップは、どれも、とびきり輝いてた。正直なカットの連続。
  そして、セットで組み立てた部屋は、何処までも、高く、広く、眩しい部屋を用意することにした。太陽の眩しいイエロ−ル−ム。演奏するメンバ−たちも、無垢な子供に見えちゃうくらい。クリ−ンで。暖かくって。いつまでも、のんびりしたい。生命力をいっぱいプレゼントしてくれる部屋。そう、ハチ植えの木が、1日で、見上げるくらいの大木に成長しちゃう。、、、、そんな、いつも日当たりのいい空間。今まで、オレがここまで、毒なく悪戯心もなく、、、、素直に、ピ−スでハッピ−な気分で、向かった時間も、なかった。

  ここでも、多くの人から、世の中から、出来事から、教えられた、はずだ。
  破滅への美学への決別。これからは、バイ!バイ!バイ!グッド!バイ! 
  小学生の頃、1999年には、この地球が最後だぁ破滅だぁ!、、、、、なんて、騒いでた、そ、の!1999年!それは、予想を大きく外しちゃって、さ。未来に向かって輝いちゃってるわ〜!ワ〜!大変!
  初チャレンジで、さ。テレビの仕事。フジTV系ドラマ『TEAM』や『ショカツ』のオープニングタイトルロールの監督。
BUCK-TICK 2000カレンダーのアートディレクション。そして、LUNA SEA+GLAY 『the Millennium Eve』東京DOME LIVEにおけるグラフィックワーク。LUNA SEA 『START UP GIG. 2000』におけるグラフィックワークも完了した。
  ひとつ、ひとつの夜を重ねて、、素敵な新しい自分を迎えにいこう!って元気が出てくる生命力!は、なんだか、狂ってたオレに対して、周囲の、音楽ってヤツが、近しい星たちが、、、、、、軌道修正してくれたから。なんだと。感謝してやまない。そんな1999年の暮れだった。