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016◆命、がつながった1996年。


  『THE MAD CAPSULE MARKET'S』はアルバム『4 PLUGS』で、確実に!!!なにか!を掴んだっ!!!!って実感できる!その音楽スタイルを武器に、間髪入れずに、これまでの楽曲を、リアレンジ・レコ−ディングしてのベスト・アルバム『THE MAD CAPSULE MARKET'S』を、前作と同じエンジニアと一緒にLONDONにて、完成させた。オレは、ア−ティスト写真の撮影でLONDON行って帰っての短い滞在2日間の旅を終えて、帰国。ジャケットも結成時に作ったバンド・ロゴを、そのまま使用したシンプルなものにした。また、彼らの1990年の1stアルバム『HUMANITY』も、リマスタ−して、多少リデザインしてのリリ−スと、なった。『THE STREET BEATS』も、同時期。1992年〜1996年までのベスト・アルバム『BEST MINDS』をリリ−ス。同じレコ−ド・メ−カ−の2つのバンドは、この作品を最後に、レコ−ド・メ−カ−&レ−ベルを移籍することと、なった。
  何か、ひとつの時代を整理して、次の世界へ向かっていこう!っていうリタ−ンの'96年だったかも知れない。 
  『BUCK-TICK』は「TOUR 1996 CHAOS」も終えて、キャンプ三昧の夏休みも、ひと段落。アンコ−ルTOURである「BUCK-TICK CHAOS After dark」の開始を待ち、しばしの休息の期間だった。
  9月、X Japanのギタリスト『hide』がブチ上げた「LEMONed」が千葉マリンスタジアムで、そのお披露目なるイベントを開催した。"LEMONed presents hide indian Summer Special"!!!国際電話で喋ってたものの、、、『hide』と再会するのも、昨年のL.A.以来だぁ〜!
  TOURの間、しばしの休息をとる『BUCK-TICK』のIMAIと、『LUNA SEA』の J 、オレの3人で、そのイベントっていうか、盛大な"hide秋まつり"に参加した。夕方、オ−プンされてたマリンスタジアムの中では、バック・ステ−ジのゲストには、既にビ−ルがふるまわれ(酒好きなIMAIとオレには、hideの実弟でもあり、マネ−ジャ−の『ヒロシ』くんからは、酔い止めの薬までいただき)、、、これから始まる長い、長ぁ〜イ、"hide秋まつり"のスタ−トをワクワクさせてくれた。
  ステ−ジ上のスクリ−ンには、CGが流れっぱなしだし、、客席には全身白塗りした暗黒舞踏のパフォ−マ−が怪しげに踊ってるわ、、、屋台では縁日みたいに秋まつり感覚の品々が売られてた。、、、キュ−トなファッション・ショ−やら、スケボ−のハ−フパイプでは少年たちが、こぞって遊んでる。、、、、いままで、想像してた『hide』のライブからは、想像すらできない、、、まさに、カルフォルニアの青い空!がピッタシくるようなイベントだった。
  ゼペット・ストア−などの「LEMONed」のア−ティストたちも、清々しい新鮮なオ−プニング・アクトを見せてくれた。で、『hide』の登場だが、、、両脇にモデルを従えてメンバ−が登場してくるのだが、、、、『hide』は出てこない、、、、???ッて思ってたら、、黄色い宇宙服みたいなス−ツを着てたヤツらの1人が、ス−ツを破り捨てるがごとく、脱いだら!、、、、やっぱ『hide』だ。、、、『hide』らしいじゃん。
  『KIYOSHI』『PATA』『CHIROLIN』『JOE』『D.I.E.』『I.N.A.』!!!7人の、そりゃ、もう弾けちゃって!弾けちゃって!のステ−ジは、そこいらのお祭りさわぎなんてブッ飛ばすイキオイ!じゃ、ありませんかぁ〜!『hide』はもう、ギタリスト『hide』のイメ−ジを脱ぎ捨てたがごとく、、!!千葉マリンスタジアムも飛び出しちゃう勢いで、ステ−ジ上を飛びまくってた。レ−ザ−光線ありっ!パラ−シュ−トあり!犬あり!CHIROLINの女装あり!D.I.E.ちゃんの転倒!骨折!あり!そんで、フィナ−レの盛大な花火大会あり〜イっ!って感じで、、、まあ!日本でも、、、こんな楽しいイベント出来ちゃうのだ!ってホント、ブッたまげた!
  みんなで、次の世界へ向かっていこう!っていう『hide』の強烈なメッセ−ジをいただいた。
  そんなイベントの打ち上げだけに、恵比寿のクラブで始まった、その"hide秋まつり呑みヴァ−ジョン"って、モノ凄い賑やかな、ウラ・イベントになった!のは、言うまでもない。ファッション・ショ−に出てた女の子たちもいて、華やかだし、、、なんたって、集合してる怪人たちが、底なしの酒豪揃い!!!!!!!で、ある。その楽しい雰囲気のまま、恵比寿駅前の屋台まで、繰り出した。駅からは、すでに出勤ラッシュで、サラリ−マンとかOLさんたちが、慌ただしい形相で会社へ急ぐ中。怪人さま御一行は、もう近くのOLたちが、コンビニで弁当買って来て喰っちゃう昼過ぎまで、、、、笑い声が、永遠に続いたのだった。(のちに『ヒロシ』くんから、この日の恵比寿駅前の屋台での集合写真を見せてもらいましたが、、、、なんかホント怪人さま御一行でした!)
  『hide』と、『BUCK-TICK』のIMAIと、オレが帰る頃は、、、もう!なんだ!これだけじゃん!最後まで呑んでるのって! 、、、、、、いや、いや、酔い止めの薬!って、よく効くのですよ。
  『BUCK-TICK』しばしの休息の期間を利用して、なんと、IMAIは運転免許を取得すべく、自動車学校に通い始めた。また、アンコ−ルTOURまでの期間を使って、「櫻井敦司写真集」を制作することとなった。スタッフが集められ、カメラマンにはいつも独特のスタンスでポ−トレイトを切り取っていたM.HASUI。スタイリストは、もちろん八木さん。ヘアメイクは谷やん!(ファッッツ・ベリ−の谷崎さん)。で、ア−ト・ディレクターでオレ。、、、、場所は、神の場所に近いところ、、、「ネパ−ル」!

  実は、『BUCK-TICK』がコニファーフォレストで『THE MAD CAPSULE MARKETS』+『SOFT BALLET』で開催したイベントの告知広告で、オレが使った写真が偶然にも、チベットの「みんな仮面を被って、行進する謎のイベント?怪し気なお祭り」の写真だったんだけど、、その文化圏でもあり、チベットほどは高地でもないし、、、安全に撮影が可能だって、いうことで、ロケ地は「ネパ−ル」に決まった。
  キャンプに行くって感じの気楽なものでは、なかったけど、、面白くなりそうだなぁ〜なんて、、、期待してたのだけど、、、。

  チベットやタイ、マレ−シア等の民族衣装っていうのが、、なんとも、極彩色で!現地で、ATSUSHIの着る衣装集めと、衣装制作をやっちゃおうってこととなった。で、ATSUSHI。スタイリストの八木さん。オレ。編集担当と、ネパ−ルに詳しいライタ−さん。マネ−ジャ−の6人で、まずは言わずと知れたネパ−ルの首都カトマンドゥをめざした。
  先発して、6人が成田を発つ前夜。ATSUSHI。八木さん。オレ。3人で西麻布のレッドシュ−ズに早くも集合して、成田から出発するまでの間、呑み倒そうって!いつものように、バ−ボンやって、、、、、翌朝マネ−ジャ−が迎えにくるまで、ATSUSHIの家で、呑んでた。この時に、なぜかATSUSHIは「アァ〜!なんか!行きたくない!、、、、なぜだか、わかんないけど、、、行きたくない!」って言ってた。オレも八木さんも、何でだろう???って思って、、、『BUCK-TICK』はやっぱ、5人で行かなきゃ!面白くないよなぁ〜!!!!なんて、、、、まあ、いろんな話をしながら、、、呑みながら迎えを待った。とにかく、機内では熟睡したいのだぁ〜!!3人とも、デロデロで搭乗して、まずは、乗り継ぎのため、タイはバンコクに向かった。カトマンドゥまで、直行便はなくて、、、なぜか、、バンコクに一泊することと、なってた。

  バンコクでも、なんか雰囲気がイマイチで、、、。オレも1990年『G.D.FLICKERS』で行った時の街の印象とは、随分と変わっちゃったなぁ〜っていうのが、正直な感想で、、、、。なんか、馴染めないなぁ〜って。みんなで入ったのも、イタリア料理屋で。ワイン呑んで、、、。
  ATSUSHI。「みんなで、イタリア行かない?」なんて、、、。
  で、外出て歩いてたら、、、可愛いらしい少年が、なにやら喋りかけてくる。、、、それで、、ある店を指差しては!ウインクしてる。そこは、外人の観光客の多いBARだったが、、、、、案内されたテ−ブルには、なぜだかハ−レ−があった!、、、で!、、、しばらくしたら、SEX!!結合しちゃってる男女が天井から降りて来た????!!!!ナニィ〜!ガキ!ここは、本番見せる、超強力!ストリップ・バ−じゃ、ねーかぁ!!って、ことで、急いで、その店を出ることにした。会計のヤツとマネ−ジャ−が言い争ってるが!「もう、ほっとけー!クソな街!」って、もう即ホテルまで戻った。
  、、、ここでも、先にタクシ−をひろったATSUSHIとマネ−ジャ−が、後でタクシ−をひろった八木さんとオレよりも、30分くらい遅れてホテルに戻ってくるものだから、、、マネ−ジャ−に聴いたら、随分とグルグル廻られて、、なんか、わざと遠まわりをされちゃった、らしい。もう、この時点でも、、、みんな!イライラ!してて!「アァ〜!なんか!行きたくない!、、、、なぜだか、わかんないけど、、、行きたくない!」って、また、始まった!
  3人、部屋呑みしては、、、自動車学校に通い始めたIMAIの家に電話したり、FAXしたりして遊んだり、、、。その翌日、オレたちと合流すべく旅支度をやってるヘア・メイクの谷崎さんに電話しては、バ−ボン!!ハ−パ−12年!!!たっくさん!持ってきてぇ〜!!!なんて、叫んだ!
  カトマンドゥには、翌日到着したが、、、なんか空港?????ここ遊園地の入り口かぁ??ってくらい小さな空港で、入国審査も、長蛇の列を作って、、、長い、長ぁ〜い時間がかかった。亡命してくるチベット人が多いからかなぁ〜なんて、考えたけど、、、。やっとの思いで「ネパ−ル」に到着した。
  チベット仏教の国なのか、現地コ−ディネ−タ−のラムさんは、両手を会わせて「ナ!マ!ス!テ!」って、挨拶したあとは、流暢な日本語で喋ってくださった。来日期間も長かったらしく、ほとんど無理なく会話が出来たので、、、少しは、安心した。
  さっそくウェルカム・パ−ティをして頂き、、、こちらでは、権威ある人たちしかいかないような、料理屋にも誘ってくれた。ネパ−ルでは、牛が神様のように崇められていて、牛が通るたびに、自動車もバイクも自転車も待ってたりする、、、すなわち、牛肉なんて喰ったら死刑にでもなりそうな、、、!お酒を呑むにも、高級ホテルのロビ−とか、、、!「こりゃ!毎晩、部屋呑みだなぁ!」なんて冗談言って、初日の夜はロ−ソクだけの明かりで、日本から持ち込んできたハ−パ−12年を呑んで、、、。静かな夜を楽しんだ。
  翌日は、ATSUSHIの着る衣装集めに市内をまわった。チベット寺院が立ち並び、極彩色な民族衣装を着た、ちょっと日本人に似たアジア人たちの街を楽しんだ。あっ!アイツ!○○○○に似てるっ!とか、、、。
  牛の神様にも、驚いたが!!!まるで、僧侶達のパレ−ドみたいに、ノラ犬たちの集団も多くて!多くて!犬って、やっぱり、オオカミみたいに集団で行動するんだぁ!それに!ボス犬はやっぱり一目瞭然!恐いヤツ!なんだなぁ〜って。
  チベット寺院の廻りには、チベット仏教の僧侶達が長い列をなしていて、思いおもいのメイクをしてた。まさにチベット仏教の街なんだなぁ〜って。あと、世界中からは、高地チベットをめざす登山家たちの、ひとまずの登山のためのベ−スメント国であり、街には登山用品店がやたらと、目につくのと、、、あと!!!やっぱり極彩色の生地屋さんとか、刺繍屋さん。すげ〜多いなぁ〜って。
  で、八木さん、俄然ヤルキ・モ−ドで!「HASUIさん来たら、もっと郊外に出て、田舎の街ポカラとか、、、、大自然の中に!極彩色の衣装きたATSUSHIがスッと立つだけで!、、、ウーン!絵になるねぇ〜絵になる!」ってもう、3人の中では!その写真集の完成イメ−ジが、膨らんでた。
  その夜も、晩飯喰ったら、先発隊の6人はホテルで部屋呑みしながら、、明日、到着するHASUIさんや、ヘア・メイクの谷ヤンの話とかして、、、「ちゃーんとバ−ボン!!ハ−パ−12年!!!たっくさん!持ってくるかなぁ〜?もう、そろそろ、底尽きちゃうかんなぁー」なんて、明日からの本格的な撮影に、ワクワクさせながら、楽しく呑んだ。   、、、が、しかし、、、!なんか、オレ!頭が痛くなってきて、、、珍しいんだけど、、、!!「オレ!先に休むわぁ〜」って独り部屋に帰って、寝たのだった。

  、、、、、、で。、、、、翌朝。オレの部屋に八木さんから、電話!!
「ゴメンナッ〜!オレ!昨日、途中で抜けて、、、、、」なんて喋ろうとしたら、、、
「ATSUSHIが、大変だぁ!ハラ痛いって、マネ−ジャ−とラムさんが、病院へ連れてったんだ!大変だぁ!どーしょうッ!!」
  マジッ!びっくりである!今日から撮影なのに、、、とりあえずホテルに残った4人は、マネ−ジャ−の連絡と、、、あと、東京の事務所に連絡いれることにして、イライラしながら、不安な時間を過ごした。
  「ATSUSHIを連れて、すぐ帰国する。撮影は中止にしよう」ってことだった。この国では処置ができず、、、途中の国、、、もしくは日本に帰ってすぐに手術!ってこととなった。八木さんも、オレも心配で、ラムさんや編集担当に無理をいってでも、すぐに帰国の手配をしてもらった。翌日には東京に戻ろう!「アァ〜!なんか!行きたくない!、、、、なぜだか、わかんないけど、、、行きたくない!」って言ってたATSUSHIの顔が浮かんできた!!!、、、、まるで、、、未来を「予感」してたように、、、、、
  なんとか、東京着くまでガンバレ−ッて、この時ほど緊張した時間はなかった。
  当然のように、その日の夕方、HASUIさんと、ヘア・メイクの谷ヤンが到着したが、オレたちの話を聞いて、、唖然としたが、、、「どうすることも、できないんだから、、、元気出すしかないよー」って谷ヤン!元気になれぃイ!!って、東京からなぜだか持ってきたお地蔵さんのお面っていうか!地蔵マスクを被って部屋に乱入してきて、ハラ抱えて笑える夜にしてくれた。
  到着したばかりのHASUIさん、谷ヤン、編集担当と、ライタ−さんを残して、、八木さんと、オレは、一足早く帰国した。
大変だったけど、なんとか無事に東京に着いて、手術も成功して、、都内の病院で入院してる。との、ことだった。まずは、胸をなでおろして、、、、、、、じゃあ、経過がよければ、、、アンコ−ルTOURである「BUCK-TICK CHAOS After dark」は、来年に延期して、、、、、なんて、、、。あー助かった。命、がつながった。

  その後、手術後の経過を見て、お見舞い行こうって思ってて、、「もう、明日には退院で、自宅療養だから、、ケン来なくても大丈夫!もう、元気だから!」なんて、言われたその日。
  まったく皮肉にも、、1996年の11月21日の午前4:00。降りしきる雨の西麻布で、、、、今度はオレが、交通事故に遭う!集中治療室に救急車で運ばれた。
  '96年という年は、まったくオレをどこにリタ−ンさせようってんだろう?