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005◆「カム・ブリード・フォー・アワ・ライツ」〜「dead start」の時代


  1991年アメリカが湾岸戦争を勃発させた、その年。
新宿サブナード地下街で「カム・ブリード・フォー・アワ・ライツ」っていう40日間の2回目の個展を開催したんだが、、
スポンサ−から、『自分の権利のために血を流せ』っていう意味のタイトルは、いかがなものか!って。この御時世に!などと、、
いろいろイチャモンをつけられてしまったのだぁ!オレからすりゃ、それは「貪欲なグラフィックはどこまでも続くぜ」ってテ−マだっただけ、、、なのに。
  で、会場構成から、運営、いろいろとオレが思ってるものとは、まったく違うものになってしまった。不本意どころじゃ、ないゼ。
フザケルナァ!ってことで、20世紀の大俗人のチカラを借りて、、
  気分も新たに「dead start」なる、本来オレなんかがやりてーようなカタチの、音楽とア−トをミックスさせたイベントを考えはじめた。
『アナ−キ−』のコンポ−ザ−であり、ギタリストの藤沼伸一(シンchan)の顔が、まず浮かんだ。
  さっそく藤沼伸一邸?へ突撃を敢行!!徹夜で呑みながら、狂ったようにヴィジョンを残らず吐き出した。
  近所のコインランドリ−行って乾燥ドラムの中に入って回転して遊んだり、、、、顔にラクガキを描いたり、描かれたり、、、
いろいろシンchanオススメの映画なんかを見たり、、で、、、お気に入りの映画監督『ディヴィット・リンチ』の摩訶不思議世界に突入しちゃったり、、、
夜中だってのにブル−スハ−プ持ち出しては公園でブル−スハ−プを吹き(吸い)まくり、、、、、
お巡りに追っかけられながらも、、、ブル−スハ−プの歴史から、愛撫の仕方まで伝授してもらったり、、、、、、、、、、、、、
まぁ、一般的な呑みとは、かなりかけ離れてたってことは、間違い、ない。
  これはシンchanの人生か!って思える20分を超えちゃう大作「dead start」のテ−マソングの制作&レコ−ディング&LIVE演奏は、もちろん。
シンchanがVIDEOで撮影から編集までしたショ−トム−ビ−の上映やドロ−イングを出展してくれることになった。
  シンchanって、アナ−キ−の親衛隊やってたころから、絵や映像、、つまり芸術+自由表現のカタマリみたいなアニキだったから、、、
どんどんと話がおもしろいように転がりはじめた。人生のこと、表現者としてのこと、、、深く、重く、伝えてくれた。
友人のア−ティストの『江戸アケミ』さんが不慮の事故で亡くなられた年でもあり、
オレは会場で10mくらいのキャンバスに向かって『江戸アケミ』イメ−ジしながらライブペインティングをすることにした。
  そうなったら、今度は、「dead start」のことを話して、参加してもらえるア−ティストをシンchanとオレで募ることにした。
もちろん『THE ROCK BAND』のメンバ−!シゲル。テラオカ。コバン。で、『THE ROCK BAND』の友人たち。シャイ&ム−ニ−。
『SION』のバックでサックスプレイしてたスマイリ−松本。『ARB』でキ−ボ−ドやってた野島健太郎。
  オレは『G.D.FLICKERS』『THE STREET BEATS』『THE MAD CAPSULE MARKET'S』に声かけて参加してもらえることになった。
------今、考えたら、物凄い意外な組み合わせの、、、音楽とア−トをミックスさせたイベントのスタ−トである。 6月20日クラブチッタ川崎。
  オレにとって忘れちゃならない、最初の「dead start」、、、、、
  『BUCK-TICK IMAI事件の新聞記事』と。インスパイヤされたア−ティストの死は、何色かなぁーって考えて描いた『5色の死』。
『アンディ・ウォ−フォ−ラ=銀の死』『サルバド−ル・ダリ=金の死』『ジョン・レノン=青の死』
『エルビス・プレスリ−=黄の死』『シド・ヴィシャス=赤の死』
、、、、こんなもんどこで展示するのかさえ、計算して作ってなかった5m〜10mの巨大なキャンバス作品はもちろん。
19歳からコツコツと溜め込んでたポスタ−のほとんどを、やっと一同に見れることになったのだ。
  『THE STREET BEATS』のステ−ジでは、ステ−ジに引っ張り出されブル−スハ−プと1曲ボ−カルをやらされた。
〜フゥ〜これだけは、えらいガチガチに緊張してしまい情けなかったが、最後、新宿ロフトでの打ち上げまで、、、最高!におもしれーもんだった。
  これをきっかけに、音楽とア−トをミックスさせたイベントの快感に取り付かれてしまい。
この年、Mr.サンハウス柴山俊之のバンド『Ruby』のアートディレクション/ジャケットデザインをきっかけに、
12月29日渋谷ON AIR EASTにて、ロックバンド『Ruby』とのジョイントで展覧会を開催して、会場で新作を発表(アクリル&シルクスクリーン)したり、
  法政大学でのイベント『BLAST OFF ROCKS』MUSIC ART GALLERYにてMERCY KILLING(ルイズルイス加部/鈴木亨明バンド)+ 60/40(下山淳ex.THE ROOSTERSのユニット)+舞士(藤沼伸一のユニット)と共演ライブペインティングして舞台美術アートワークを手がけたり、
  『THE MAD CAPSULE MARKET'S』と一緒に、強烈なMADならではのLIVE空間を作り出そうと挑んだ新宿パワ−ステ−ションでのLIVE。
そこでは巨大な舞台後方の壁画作りをしてみたり、、、
  と、、、机の上、だけじゃ表現できないア−ト作品制作に熱を帯びてくるのだった。
  [レコ−ドのジャケットを作る人]になってはみたもんの、それからドウスルノ オマエ!、、って凄い重要だって思ってたし、、
いつも危機感あったから、いつもLIVEには顔出しては色々なア−ティストの声を聴いては、、、
  『生きてる鼓動を、、聴くんだ。鼓動を、、感じるんだ。すべての自分自身の能力をフル回転させて、、、、
オレとよく似たカタチの魂の鼓動を、、感じるんだ。呼吸のイメ−ジ。血の流れるイメ−ジ。心の底から、笑って。怒って。泣いて。笑って。 
生まれた時の泣いてる自分のイメ−ジを、、、思いながら、、、オレとよく似たカタチの魂の鼓動を、、感じるんだ。』って、、、


  オレは死んで始まる-----「dead start」で得た強いイメ−ジを大切にしてる。それは、オレずっと忘れない。
006◆西麻布あたりの日常=異常


  1991年『狂った太陽』って、まさに、、そんな時代。
オレら夜通して、人間セッションやってたんだ。みんなスケジュ−ル、ギシギシでやってんだから、、仕事が夜中、、朝、、、終わってからの、、、
みんな「お疲れさまぁ〜」の時間くらい大切にしたいし、、、、できれば、、、このまま、、、続けばイイなーって思ってさ。
  で、行き着けの西麻布はレッドシュ−ズ!六本木はBOO!とかって溜まり場で朝までやってるの、、、人間。対。人間。、、、、、セッション。
もう、同業者(ミュ−ジシャン+ア−ティスト+レコ−ドメ−カ−etc.)は、もうほとんど、ここいらで知り合うようになるし、、、、
一般の人からすりゃー異常だけど、ウチらからすると、日常。
なんか、毎晩、毎朝、ちょっとした事件もあったりでっ。
太陽に殺されそうな日常に、引き戻されるまで、、やさしい夜に隠れさせていただいた。
夜は、さまざまな想像のヒントだし、、その闇が、、誕生前の、、胎内って、いうか、、、、、
  で、オレも事務所が六本木だし、、、歩いて帰れるっから麻布に住もうって思ったんだよねー。
何しろ、世間はバブルに浮かれポンチ!街は、毎日お祭りじゃないのって、いうくらいハデに賑わってて、
おねーちゃんワンレンボディコン!アフタ−ファイブはス−ツのサラリ−マンも毎日、毎日、接待に追われて、
街じゃ終電前でも、タクシ−も捉まえるの難しい時代だったのさー。ガチャ!ガチャ!ゴチャ!ゴチャ!
で、麻布は六本木から近いけど、やっぱ、駅のない街だったから、静かで隠れ家的な環境だしーって思って、、、、。
  でも、いつの間にか『THE ROCK BAND』のシゲルやら友達の役者が、
『BUCK-TICK』のATUSHIがIMAIがスタイリストの八木さんが、
『THE MAD CAPSULE MARKET'S』のメンバ−やら友達が、
『G.D.FLICKERS』のJOEが、『THE STREET BEATS』のOKIが、『横道坊主』が、、、、、、
  みんな、LIVE終わって、、打ち上げやって、、、永遠、、朝まで呑んで、呑まれて、、、、やってる店なくなってから、、、また、、、
まだ、まだ、人間。対。人間。の付き合いを深めたいのか、なんなのか、、、
  いわゆる、ひとつの西麻布の溜まり場ってなってたのだワ−hahahahaha-
もちろん、毎朝オレん家ばかり、、じゃないけど。恵比寿の駅前にあった屋台とか、、hahahahaha-
今考えられないくらい、、、この時代は、よく呑んだ。
(最近も忘れなくって、ときどきハメはずしてるけど、、、、関係者の皆様スイマセン、、、)
  ほら、会社行って、、、ハイっ!2時間で!表現に関するミ−ティングやりましょーって!やるじゃん。
そんな、セッションだけだと、、ホントウの意味でのイイ作品なんて、、、作れっこないんだワ。わかると思うけど、、、、
もっと、深く、鋭角的にイイ作品を研ぎすませようとすれば、、、向かい合って、腹わって、感じあわないと、前には進まないんだ。
  音楽にピッシャリ来る絵。それってデザインのハヤリとかスタリ、、、そんなもんじゃ、ない!ってオレは考えてるの、ね。
それは、、「朝まで呑んで、呑まれて、、、うんぬん」ってことじゃ、なくて。
、、たとえ、、、、呑まなくても、、、、音楽を生むミュ−ジシャンと向かい合って、腹わって、感じあわないと、前には進まないんだ。
そんなミュ−ジシャンたちを信じてるし、裏切らない。音楽をひろげてくためにチカラになれるグラフィックの協力者として、、、脳みそバラバラなんないように、、、
デザインのハヤリとかスタリに乗っかんないで、、、音楽を生んでる時の、言葉を生んでる時の、最初の産声を絵にしようって、いつも思ってるんだ。
  この年『BUCK-TICK』は一転して超エレクトロニックなアプロ−チと独特なメッセ−ジを持った名アルバム『狂った太陽』をリリ−スする。
その後の『BUCK-TICK』スタイルを確立したとも、言える(?)かなっ。
  当時、デザインの現場にもMACが導入され、、ウチでも 『Mac II ci』入れたんだけど、、8Mしか容量ないでしょ、、今じゃない、、
考えたくもない、、、、写真素材入力するだけで2日間徹夜でしょ。外付けのハ−ドディスクにバックアップとっても、パンパン!
『Mac II ci』様に向かって、まるで、家の仏壇にでも拝むイキオイであったhahahahaha-。
ア−ッッ!外のデカイコンピュ−タ使えば良かったって、、、反省しても、、もう、、遅い。
なんて、、、、イマ考えれば、、、ウスノロなマシ−ン『Mac II ci』だったが、、かわいいヤツで、休まず働いていただきました。
それくらい、デザインの現場は、まだまだ、全面アナログな時代背景で、エレクトロニックなアプロ−チするグラフィッカ−達は、ほんと片手で足りた、かも知れない。
  その後1992年はじめにリリ−スするアルバム『殺シノ調ベ』では、、それまでのレコ−ディングのウサを晴らすように、、、

過去に産んだ楽曲たちを、全曲リ・レコ−ディング。いうまでもなく、みごとに成長させて見せてくれた。   『G.D.FLICKERS』はメンバ−全員が大好きなハ−レ−に股がり『Shake!』をリリ−ス。
さらにバットボ−イ的イカしたアンチャン達のデッカイ大陸的、ウネリあるRock'N'Rollをさらに前進させた。
朝まで呑んでても、その、ファッションは普段からも、街で目を引いてた。バブルで浮かれてるヤツラを笑うように、彼らのRockは鳴り響いた。
  『THE STREET BEATS』は出身の広島時代のオリジナルメンバ−2人を再び迎え入れ。湾岸戦争にも怒りをあらわにメッセ−ジ色の濃いアルバム、
声高らかに『STANDING STANDING』をリリ−スした。
  オレは「THE STREET BEATS」をモチーフに世界平和ポスター展'91に出品。ひろしま美術館など各地を巡回させた。
『赤い空の下で』っていう曲からインスピレ−ションを授かり、、、世界平和ポスターに、この楽曲を捧げた。
  で、この年『LUNA SEA』の5人と出会う。1989年の『バクチク現象』東京ドーム ライブを高校生時代に見に来てた世代なので、ある。
まさに、オレなんかの弟世代の登場なのである。インディ−ズなんだけど、、1st.ALBUM『LUNA SEA』をリリ−スし、全国ツア−の真っ最中!
フ−ルズメイトからは5人5冊。5人5様。+1冊の本をリリ−スしてるわ、日本青年館はSOLD OUTしてるわ。ってんで、、、、、、
UNDER THE NEW MOON TOURの日本青年館に行った。もう、そうだなー。とにかく開場する前から真っ黒!なのと、
客席。リズムに会わせてアタマをガンガン振り乱す、メンバ−と同じ髪型+衣装をきた女の子(コス?プレ)に、まず、驚いた。
  ともかく『LUNA SEA』はインディ−ズとはいえ、会場をモノにしてる貫禄と演奏力に、、、もっと驚いた。ファ−凄えぇ弟世代の登場だぁ。