SAKAGUCHI KEN FACTOY,inc. 2-14-10 Misyuku,Setagaya-ku,Tokyo,Japan 154-0005 TEL:03-3424-2304 FAX:03-3424-2341
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026◆すべての、
    個が、の宇宙で、独特の鼓動を、
    刻んでいる。



  音楽はもとより、ビジュアルに関してのプロデュースに並外れた能力を持っていた男。同じ戦場で、一緒に闘ってきた男が、新しい星になって。。。。一緒に、2000年に向かう!1999年末。カメラマン『菅野秀夫』さんと『hide』の入魂!のセッション!ベスト写真集『 hide 』も、クリスマスプレゼントとして、みなさんに無事、届けられた。シルバーのボックスは、この世に、また新しい生命として、誕生し、新しい角膜の奥から、新しい光を探し始めた。オレも、前に向かわなきゃって、自身の魂にも、刻んだ。
  〜 DIVE to 2000 〜
『 hide 』も、お台場の展覧会場で、気持ちよく深呼吸してた。
  この年、ファッションビル『OPA』シーズン・キャンペーン・ポスターにおけるグラフィックワーク + CFの演出・監督を手掛けることになった。オレなんかの事務所の新しいメンバ−。ピギー・ジェイル (フレンチ・ブル1999生まれ!)がいる。ヤツが、この年間シリ−ズで、メインアクトを勤めるコトとなったのだ!実は、ウチに来た時から、何かステ−ジ上げてやろうって、考えてたのだ。
 ヤツは、フレンチブルのくせに、BUCK-TICKのファッションを手掛け、ステ−ジ衣装も手掛けるYAGIさんに「ハチになりたい。」「クワガタになりたい。」「赤トンボになりたい。」なんてオ−ダ−をした。散歩で見かけた、この星の、違うカタチに憧れを、いだいちゃったのかも知れないが、、、、、。
  それにしても、贅沢だ。2歳にして、デヴュ−!派手なカッコして、はしゃぎ廻って、たいへんだったけど、スタジオは、賑やかで楽しい空気に包まれたんだ。スタジオの真っ白なホリゾント、、、、永遠に続く世界に向かって、猛スピ−ドで駆け出して、ブッかったり、転がったり、、、いやぁー今でもだけど、オレなんかに似て、暴れん坊で、落ち着きが、まったく、ない。笑いを誘って、面白いんだが、撮影機材だらけの、スタジオじゃ、危険!そう!まったく!眼が離せないのだよ。
  『OPA』Oh!Birgain のCFじゃ、流星群が飛んでる宇宙空間を超えて、ロケットに乗っかって『 hide 』に逢いに行くってコトになった。もちろん!曲は、もちろん!!『ROCKET DIVE』〜Ready 3! 2! 1! Go!!!!!!!!って宇宙旅行まで、実現した。うぎゃー!宇宙服のピギー・ジェイルが!オレは、一番カッコイイじゃん!って!今だ、このCF作品は大好きなんだ。表情!見ておくれ!流星群に立ち向かう!勇気ある表情を!!!
  2000年。『BUCK-TICK』は、マ−キュリ−を離れ、BMGファンハウスに移籍が決定した。もう、すべてが、新しい扉を、宇宙のドアを開くかのように、転がり始めてるのを、実感した。移籍第一弾シングル『GLAMOROUS』を聴きながら、瞳閉じてると、なんだか、見たことのないカ−ニバルの夢を見た。とにかく、なんだろ、これ!ってくらい極彩色のカ−ニバル!で、ギラギラ!
  こりゃ、現実に撮影とか、出来るような表現じゃ、ダメなんだって直感で。世界中のカ−ニバルの写真のリサ−チからスタ−トしたが、また、自身の夢を思い浮かべながら、合成しながら、その光の中に、確かに存在した、女神を、具現化していった。蛍光色、極彩色、眩しい光の中に、ただ、まっすぐな視線で進んでいった。幻を、現代のヤリ方で、見えるグラフィックに。

  また、オリジナルアルバムとしては、約3年振りのアルバムの制作に向かう『BUCK-TICK』。ア−ティスト写真の方向も、この時点では、零だから、ありのまま、そのまま、素のままってイメ−ジにした。8×10の大型カメラで、一発撮影。白バックに、5人が、ただ、まっすぐな視線でスクッと立つ。それだけだ。また、次世紀の『BUCK-TICK』に産まれ変わるような、宣言にも感じる、ストレ−トなア−ティスト写真だった。
  9月発売に向かって、どんどん上がってくるデモトラックスを聴きながら、イメ−ジしたこと、、、、。
なんだか、その頃「モナリザ・オ−ヴァ−ドライヴ」ってキ−ワ−ドが上がってて、、、。
 アルバム『Six/Nine』の頃、コラボレ−トした現代美術作家で、「ロバート・ロンゴRobert Longo」の作品に、確か「サムライ・オ−ヴァ−ドライヴ」って作品があったなぁ、、、って、ドイツの輸入本、引っ張り出してきて、、、。
そう、日本では映画監督としての方が有名かも知れないロバート・ロンゴ。北野武さんや、キアヌ・リーブスをフィーチャーした、ウィリアム・ギブスン原作・脚本による映画「J.M.(ジョニー・メモニック)」って、あるんだけど、、、、。
まぁ、オレが20歳の時に初めて行って、、、NEW YORK_MoMa近代美術館。5番街のアソコ!で見つけて、大好きになった!たくさんの問題作を発表している、れっきとした現代美術作家なの、ね。また、ひさびさにコラボレ−トしてみたくなって、、、、
  !が、しかし!「サムライ・オ−ヴァ−ドライヴ」よりもカッコイイ!素晴らしい作品を発見しちゃったのです!また!必然的に!
All You Zombies(Truth Before God)って1986年の作品。そこに、アメリカの抱える社会問題を問いかける、姿勢と、なんだろう、日本の兜のイメ−ジと、新しい声明!、、、いや、もう、これも、直感!
  さっそく1995年以来、再度のコラボレ−トが、初まった。『Six/Nine』以来、だから、、、、もう、ひさびさ!
オリジナルアルバム誕生に向かって、『BUCK-TICK』そして、新生スタッフも、一同に、走り始めた。
 一度生まれて 一度死ぬ たった一度 一度死ぬ。アルバム『ONE LIFE, ONE DEATH』。のっけから、ダンサンブルであり、鼓動が跳ねてくる。挑発するかのように、ポジティヴで、タフな生命力を持って、その怪物は、産み落とされようとしていた。オレも、ロバート・ロンゴの作品をただ、3Dグラフィック化することじゃ、なく、オレなりのメッセ−ジを、そこに込めて、毎晩スタジオに通いつめては、『ONE LIFE, ONE DEATH』って幻の怪物に生命を、注いだ。楽しくて、楽しくて、、、時間が、もっと、もっと、欲しいよ〜って!
  わがままも、言って。ブックレットには、メンバ−写真は、ワンカットのみにして、初回盤のために、Original Photo Bookletも作りたくて。、、、、ジャケット用に制作したオレなりの生命のグラフィックをメンバ−の身体に写し出して。また、怪物の胎内にいるようなメンバ−を。などと、コンセプトをもって、ミニ写真集をプレゼントすることも出来た。
  『ONE LIFE, ONE DEATH』を抱え、ひさびさの全国ホールツアー「PHANTOM TOUR」スタンディングツアー「OTHER PHANTOM TOUR」も始まった。10月には、メンバ−の地元、群馬音楽センタ−に遊びにいって、1996年だっけ、か?キャンプ三昧だった時に、一緒だった、メンバ−の地元仲間たち(個性派ぞろい!)一同!や、メンバ−の家族とも、再会ができて、楽しくて、楽しくて。
  やっぱ、待ち望んでたライヴだったし、新作をアッケラカーンと、解き放つ!5人は、やっぱり!革新的で!不変的に!不死身に!ヤッパ!カッコイイ!!感動は、終わりが、なくて、永遠で、、、、、、、、、朝まで、永遠に、ひさびさに呑み明かして、、、最後は、ホテルの部屋呑みにまで、突入!!!最後は、、、、、、また、また、、、、、記憶が、なくて、、、、、。
  マネ−ジャ−・千葉くん部屋のソファ−か、フロア−で、そのまま寝ちゃってて、酔っぱらってハイ!ハ〜イ!のまま!東京帰りの新幹線に乗ったなぁ、、、、。で、直ぐさま、また、その週末。今度は、オレなんかの地元、高松。高松市民会館での、公演と、里帰りで、また、飛行機に飛び乗った。またまた、地元でのステ−ジを楽しんで。打ち上げでは、オレなんかの高校時代の友人が経営する呑み屋まで、紹介しちゃったりして。。。。まったく、実家は、田舎宿、、、みたいなカンジで、ゆっくりもしないで、、、、。(この親不孝モノが、今に、なって反省しちゃってるし、、、。)
  一度生まれて 一度死ぬ たった一度 一度死ぬ。ホント!一つ叩かれた。命だ。
楽しもう!楽しんで!生きようって!大声あげたくなるイメ−ジだった!ラクな方向に逃げて、逃げては、滅びのバカ美学。じゃ、なくて!楽しむ!そのためには、タフに、産みの苦しみも、ある!孤独も!でも、それを、越えて、アッケラカーンと、魂を解き放つ!その!一瞬の!快感!それが、前に向かって!楽しんで!生きようって!ポジティヴな魂の鼓動に、なるような。ホント!一つ叩かれた。命だ。
  『hide』の、もうひとつのユニット『zilch』。hide と PAUL RAVEN + RAY McVEIGH の3人が、退廃しきったアメリカ音楽界に、非アメリカ人として、また、挑発するかのように、ポジティヴで、タフな生命力を持って、産み落とそうとしていた、その怪物『zilch』。  そして、その、メンバ−RAYが、プロデユ−スをしてたBAND『OBLIVION DUST』。仕事でL.A.に行って、hideの家、遊びに行った時、紹介されたBANDだ。
 、、、、、、『hide with Spread Beaver』のギタリストKAZ。、、、、ジェイミ−ロケッツ時代、いちどTHE MAD CAPSULE MARKET'Sと対バンしてた頃の、印象を思い出して、、そして、そのCDを聴いて、、、、なんだろ。いや、その怪物『zilch』そして『OBLIVION DUST』。色いろな国で、通用しちゃうバンドが、元気な、産声をあげようとしてんだぁ!って!直ぐ、CD貰ってね。
  そのメンバ−KAZや、TAKA、KEN、RIKIJI、その後加わるthe space cowboys のFURUTONとも、行きつけのMONちゃんBar.RALLYとか、コンサ−トの打ち上げで、知り合ったんだ。でも、まぁ、なんで、ここまで、みんな個性的で、バラッバラッな強い印象をもった4人が、、、、、ここまで、超個性的なバンドやってんだろうってカンジ。
  それぞれ、と、オレ。別々に、会ってるカンジ。まっ、オレも、アナ−キ−で独り。ってイメ−ジあるけど、ね。その分、オレも、気をつかわなくて、それぞれ、と、オレ。別々に、楽しんでた。
  で、何故だか、オレなんかが、彼らのア−トワ−クをやることになった。10thシングル『FOREVER』+VIDEO『OBLIVION DUST THE VIDEO』からスタ−トした。なんだか、これも、音源もらって、彼ら4人からは、「もう!ケンがイメ−ジするように泳いで!自由に表現してよ〜!フリ−キ−なスタンスで!」って。そんなプロジェクト参加だった印象。だから、会議をして、とか、誰かと、トコトン詰めてって思い出が、まったくないのだ。オレが、サウンドのイメ−ジを、絵にした。シンプルで、もしかしたら、もう一方で、カッコ良くて、素直なヤリ方だったかも知れない。『FOREVER』では、ボ−カルのKENが見つめる未来への視線を。『OBLIVION DUST THE VIDEO』では、リニュ−アルしたロゴマ−クを。、、、、続くシングル『DESIGNER FETUS』では、オレが思い浮かべる「時計じかけの胎児」ってヤツを。
  『BUTTERFLY HEAD』ジャケットデザインでも、また、わがまま言って。ピクチャ−レ−ベルにしたり、みんな一緒の認識の象徴=バ−コ−ドに「独創性のない」ってメッセ−ジ込めたデザインをしちゃったり、、、。まぁ、いろいろと。このブックレットで表現してるメンバ−のポートレ−トにも、あちら側×こちら側ってイメ−ジを感じるような表現をトライしてみた。逆にア−ティスト写真は、それぞれ4人の演奏シ−ンを、撮影スタジオの中、大音量でやらかして、熱いヤツをスチ−ル撮影してみた。
NO REGRETSから幕をあける、この『OBLIVION DUST』の最新型アルバムは、KAZ、KEN、RIKIJI、FURUTON、4人の個性がオレの中でも、さらに、際立ったモノになった。世界中にドロップしちゃいたいよ〜って!退廃しきった音楽界に!届けたいなぁ〜って!
   DJ KRUSH featuring ACO, TWIGY で産み落としたシングル『Tragicomic』も、ディ−プで魂の底に、刻まれたトラックだ。[悦びに咲く花] [absolute ego] などのヒットで知られる歌姫ACOと、RINOと共に“岐路”でコラボレートしたヒップホップの最親衛TWIGYをフィーチャー した、なんとも、、、、、う〜ん。宇宙だ。人間の“悲喜劇”をテ−マに。なんとも、、、、、う〜ん。宇宙だ。
 この魂の底に、響く音源をプレゼントされて、また、オレの中にあるイメ−ジを、筆に、願い、思い、そのすべてを込めて、一気に描きはじめた。考えすぎないように、未来は、、、、、
  『Tragicomic Krush self-remix』では、さらに、KRUSH色をより前面に押し出したリミックスに、アルバム [MEISO] [MiLight] [覚醒]からセレクトしてリ・マスタリングしたトラックが。
  青×赤。光×闇。悲喜。、、、、、、、、、何度、聴いても、、ディ−プで、魂の底に、刻まれるトラックだ。 DJ KRUSH と、 ACO、TWIGY、の個が、この宇宙で、独特の鼓動を、刻んでいる。
  『LUNA SEA』の 『INORAN』『J』から、ESPからの自身のギタ−、ベ−スの広告キャンペーン。『INORAN』の撮影は、実は、ウチのオフィスの会議室を使用してるの、ね。SIGNATURE MODEL ILP-00 は、通称「DRAGON」。オレなんかの事務所の照明の部分を、まるで、ギタ−博物館の一部にしちゃおうよーってコトに、2人で盛り上がって。これから、デヴュ−するギタ−なのに、なんだか、もう、長きに渡って戦ってきたヤツみたいに、飾ってやろうって。プレ−トなんかも、作ったり。でも、あれは、事務所の中。。。
  で、オレなんかに、不思議な生き物、"龍"の絵を描いてよって、依頼があった。
  社寺の重要な建物の天井には、"龍"の絵が、よく描かれてる。オレなんかは、辰年生まれだったりするし。
なんだか、幼少時に、祖父さんと一緒に絵を描いたり、モノ作ったりすることが、大好きだった、、、、そんな、思い出が、リアルにたくさん蘇ってきちゃった。裏山にオレを連れていっては、枝切りながら木を眺めて、、、、「あっ!あそこに"龍"が居るゾッ!」なんてノコギリ出して、切り落とし、皮剥がして、ニスみたいな艶出しの塗料を塗ったら、、、、、ホントに、"龍"になっちゃって、感動したことや。鉛筆を斜めにしたら、陰影がうまくデッサンで出せるよ、ってコトやら、遠近をうまく感じさせる絵の書き方やら、、、、いやぁ〜ともかく、祖父さんが、オレの絵の師匠だったからなぁ、、、、、、、、、。そんなコトを思い出しながら、「DRAGON」ギタ−の為に、"龍"の絵を描くことに集中した。 八方にらみの龍。鳴き龍。いろいろと、『INORAN』が持って来てくれた資料のお土産を、眺めながら、自分の干支でもある"龍"の絵を描いた。やっぱり、描く。ってコトは、快感だ!自分自身の独特の鼓動を、刻みつける行為だから、ね。いつの間にか、デザインの世界も、コンピュ−タの中だけの、同じエフェクトや、ツ−ルによる表現ばかりに、頼ってしまってる。。。。。 
  この、なんだか、スピ−ディで、便利、しかし!個性のない、、、繰り返しには、乗っかり過ぎるとヤバイ!ヤバイ!って!、、、、、また、実感する自分が、そこに居て。筆に、願い、思い、、、、、。ダメなら、最初から、も一度、最初から、ってカンジで。"龍"の絵に向かった。描けば、描くほど、"龍"って不思議な生き物だよなぁって。。。。
  産まれた町に残ってた伝説の龍の話なんかまで、、、思い出して。
  オレが産まれたのは、四国は香川県志度町(あのシド・ヴィシャスとは、何ら関係ないが、、、)。磁針機,発電機(エレキテル),立体世界地図… など数多くの発明の実績と、発明家,小説家,今でいうイベント総合プロデューサー…など、挙げればキリがないほど数多くの肩書きを持つ江戸時代のマルチ人間。平賀源内(1729〜1780)の生家の向かいだったの。
  その町は、昔は、「玉の裏」って呼ばれたらしいのだ。なんでも、海女さんが、海に住んでた?らしい"龍"に、大切な宝もの?金の玉?を奪われたんだけども、勇気出して、戦って奪い返したって、、、、伝説が残る町だったなぁ、、、かすかな記憶だけども、海女さんのお墓も、あったなぁ、、、って。
  オレが、入魂込めて描いた「DRAGON」です。また、あらためて、『INORAN』のSIGNATURE MODEL ILP-00「DRAGON」をチェックしてみてください。この身体、魂を込めて絵を描くって、ホント、最高の幸せだよ、ね。
  『LUNA SEA』1990年に出会った5人。
メジャ−デビューに向かうアートディレクションから、オレはずっと彼ら5人と歩いてきた。アルバム『IMAGE』+VIDEO『IMAGE or REAL』から。。。。。。。。。。。
  しかし、2000年。200.1.1の [ START UP GIG 2000 ] のグラフィック・ワ−ク以降、彼らとは、セッションしていなかった。12thシングル『gravity』13thシングル『TONIGHT』が、届けられた。が、そこには、彼らが、ずっと大切にしてきたロゴマ−クが、なかった。
  5.23の [ PREMIERE of LUNACY 2000 ] では、何故だか、、、そこには、結成時のバンド名があった。オレは5人とセッションできなくて、物凄く寂しさに襲われたけど、、、バンドって、生き物だから。そして、現実に、原点を見つめ、また、地鳴りするくらい、そう、次の 21世紀への、宣誓にも感じてた。ル−プして、また、次のステ−ジに、5人は、確実に昇ってるんだ。そんな実感。
  そして、届けられた7thアルバム『LUNACY』は、素晴らしいアルバムだった。そこにも、具体的なヴィジュアルは、なくて、あらゆる装飾的なモノを、すべて排除したようなパッケ−ジが、零地点。それも、強力な5人のネクストを感じるに相応しい作品の、誕生だった。
 [ TOUR 2000 BRAND NEW CHAOS ] は、そしてスタ−トした。ところが、11月。突然のニュ−スが、オレのもとに届いたのだ。
[ LUNA SEA 終幕 ] 、、、、、。原点を見つめて、さらに強固なステ−ジアクトを見せてた5人から。突然の報告だった。
  5人それぞれが、スタッフそれぞれが、SLAVESそれぞれが、深い思いを大切にしてるから、、、、、、、永遠に。。。。
『LOVE SONG』を感慨深く、受け取って、、、、、5人の鼓動。そして、それぞれの、スタ−ト。
  2000.12.26 & 27のTOKYO DOMEで。オレも、いろんな思いを胸に刻んで、前に向かった。   
PATA(X Japan) ・ HEATH(X Japan) ・ I.N.A.( hide with Spread Beaver/zilch) の3人が、オ−ディションによりVOCAL、JO:YAを向かえてのNew Project を進めていた。呑み屋なんかでは、周知の仲間ではあるが、、、、、!この顔ぶれでのサウンド、、、、、、!一体どんなバンド、、、、、!なんだろう!って、期待はドカ−ンと膨らんだ。早く、ライヴ見てみたいよ〜!って思うNew Oneが、また、動き始めていた。何やら、『Dope HEADz』って新しい音楽生命体に、感じた。これまでの、バンドサウンドを超越したヤツを産み出そうって!
  『Dope HEADz』デビューにおけるアートディレクションが、スタ−トしたのは、この頃。スタジオや、会議室で、一同が、顔を合わせたら、なんだか、妙な感じ。。。。BARだと、しっくりくるんだけど、、、。なんて、そっか、明るいから?かァ?、、、、、、ジョ−クの連発!笑い絶えない、楽しい、地球へ来てから、35年・子供大人の、愉快なセッションが、繰り広げられた。
  オレも、も〜う、何年ぶりだか?事務所で、幼稚園児よろしく!粘土コネ、コネ!新しい音楽生命体を想像して!21世紀の幕開けに相応しい『Dopeくん』を産み出した。3個くらいのキャラを、また、グシャ!グシャ!グシャ!グシャ!グシャ!グシャ!
  なんだか、ワケ分からない生物も想像して、プリミティズム溢れた心で、ヘンなヤツが誕生した。
  『BUCK-TICK』は、 2001カレンダーの撮影を終え、12月より 「TOUR ONE LIFE, ONE DEATH」スタート。名古屋、大阪、東京の3箇所で開催。20世紀最後のステージは12/29日本武道館で迎えた。

  『J』は、[ LUNA SEA 終幕 ] から、間髪入れずに、もう新世紀はアタマから、ブッ飛ばすイキオイで、ライヴetc. 、、、、、I'm Back! のメッセ−ジを、発信した。確実に、猛スピ−ドで!ヤツはブッ飛ばす!

  『hide』のすべてにあえる場所。hide MUSEUMで、オレは新世紀を迎えた。『Dope HEADz』がGIGだ!

  すべての、個が、この宇宙で、独特の鼓動を、刻んでいる。それが、はっきりと、見えた。2000年。そして、誰もが、NEXTを見た!