SAKAGUCHI KEN FACTOY,inc. 2-14-10 Misyuku,Setagaya-ku,Tokyo,Japan 154-0005 TEL:03-3424-2304 FAX:03-3424-2341
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019◆すべてがリスタ−トする1997年。
    隠れてると影すら、見えない。



  生きてるリアルを伝えなきゃ、、それが、オレなんかに科せられた使命じゃないか!ってポジティブな思いが、さらに図太くなってきたのは、『LUNA SEA』のベーシスト『 J 』のソロ・プロジェクトが、そのライブ・ツア−『 J PYROMANIA TOUR 1997』に突入した頃からかも知れない。すべてをリスタ−トさせちゃう勢いで、全国にROCKの火を、放って廻った。これまでの、『LUNA SEA』のベーシストっていうカタチとは、なにか違う、、、いや、違うはずだ。J〈b,vo〉、フランツ・ストール〈g〉、"CBGB"藤田高志〈g〉、スコット・ギャレット〈ds〉の1997年に誕生した新しいバンド・ユニットなのだ。ライブを重ねていく、そして、物凄いROCKのカタマリが、育とうとしてるのだ。
  〜壊れたのなら、また最初から、創り始めればいいさ〜 なんて、『 J 』の歌に自分を重ねてみたりして。

  特に、そのライブ・ツア−が幕を閉じちゃう9月のファイナル「赤坂BLITZ」では、 『 J 』がリスペクトしてきた『 THE CULT 』のギタリスト『 BILLY DUFFY 』や、『 J 』の兄貴分でもある『 h i d e 』までもが、遊びに来たまま!そのまま!リュックサック背負ったまま!飛び入りしてのフィナ−レ曲・Sid Vicious『MY WAY』をやった。あっけらかん、と!!音楽業界に!犯行声明!を、掲げたステ−ジだった。
  やりゃ、できんじゃん、みんなも!!!!!!!って、そこに会したヤツラすべてが、何かを感じてた。
この夜の打ち上げは、アナーキーのシゲルや、その後、オレがセッションすることとなる『Oblivion dust 』のメンバ−も、世代や国境を超えて、、、、、、ROCKの火を、メラメラ!、、、熱く、語り合ったのだった。
  レコ−ド・メ−カ−・レ−ベルを移籍した『THE MAD CAPSULE MARKET'S』は、アルバム『4 PLUGS』を最後にギタリストのISHIGAKIが脱退し、これまた心機一転!リスタ−トする1997年だった。KYONO、TAKESHI、MOTOKATSU、3人のラインナップになった彼らは、元来、バンドの武器でもあったデジタルをさらに進化させるべく、新作の制作に突入していた。
  そこで、最初に切り出すNEW SINGLE『SYSTEMATIC.』では、彼らの前作・リレコ−ディング・ベストアルバム『THE MAD CAPSULE MARKET'S』でも、その片鱗を見せていたジャングルビ−トを『THE MAD CAPSULE MARKET'S』流に、さらに進化させてきた。
  ア−トワ−クの方向も、よりデジタライズされた方向に大きく転がった。『SYSTEMATIC.』のVIDEO CLIPでは、その独特のジャングルビ−トを強烈にアピ−ルすることと、やはり同時にバンドグル−ヴ感を見失わないものを、目指した。ロケ場所は、すぐに決まった。横浜。それも、彼らが、まだデビュ−する前。リハ−サルでよく使ってた自然光が入るスタジオだった。もう、何年も入ってない場所で、、、、、もちろん、現時点でのリハ−サルでは、とても機材が収まりきらない狭さではあるのだが、、、『THE MAD CAPSULE MARKET'S』が、またリスタ−トする、という力強い意志は、ここにも感じられた。、、、、オレ自身、何度もセッションしたことのあるギタリストTORUxxx(ex.THE STAR CLUB)を、迎えての、本番ライブのごとく、ナマ音を爆音で演奏するVIDEO CLIPだ。

  カメラマン『NICCI KELLER』とオレ。そのデモテ−プを聞きながら、その独特のデジタル・ビ−トをなんとか、ム−ビ−・カメラでアナログに焼きつけられないか、、、考えてて、デジカメを手でシャッフルして撮った絵を見て、、、アッ!コレダワッ!って、感覚が揺さぶられた。、、、、で、こともあろうことに、16mmの重いカメラ本体ごとを振動させることに、スタッフは全力をかけた。
  また、機材に関しても、、、、なぜだか『YMO』の時代にまでさかのぼって、タンス型のシンセサイザ−を探して廻ったり、、、。彼らの原点と、現在を、なんとかコラボレ−トさせようと、、、、、、、。
  古いスタジオが、まるでエレベ−タ−がむき出しで、彼らの爆音で演奏するライブを乗せて、、、時代の中を、上がったり下がったり、、、極東最新型のロックバンドのグル−ヴ感なのだ。オシロスコ−プは、ただただ、グルグル廻り続けた。

  NEW ALBUMのオ−プニングを飾る『CRASH POW』でも、彼らはヘヴィに叫んでる.......「〜 そう オレは創造からくる POW そいつを手に入れたんだ 〜 壊して変わり出す 未来は全て CRASH POW 〜 そいつは創造からくる POW 答えを手に入れたんだ 〜 壊して変わり出す 未来は全て CRASH POW 〜」まさに、リスタ−トした瞬間だった。
  時を同じくANARCHYも、過去8枚のオリジナルアルバム『アナーキー』『'80維新』『亜無亜危異 都市』『READY STEADY GO』『ANARCHISM』『Rebel Yell』『デラシネ』『BEAT UP GENERATION』の中からのベスト・アルバム『THE LAST OF 亜無亜危異』と、同時に、なんと13年ぶりのニュ−・アルバムの制作に入っていた。
  こちらも、当初の考えられていたオリジナル・メンバ−・ラインナップではなく、仲野茂(Vo.)・藤沼伸一(G.)・寺岡信芳(B.)のメンバ−に、ニュ−ドラマ−名越藤丸を迎え4人での、リスタ−トだった。
  オリジナル・メンバ−5人が集まって超久々の歴史的ライブステ−ジをやった1994年とは、これまた、すべての意味合いが違った。まさに、ホンモノの『1997ANARCHY再始動!』、、、、そして、新しい音源!そして動き出すのだ。ニュ−・アルバム『ディンゴ』のジャケットデザインの打ち合わせで、リハ−サルスタジオを何回か通って、ニュ−ドラマ−名越とも、打ち解けてきた。そして、なんといっても、スタジオでレコ−ディングされてる数々の楽曲は、まさに13年ぶり!の凄まじさ!!
  超音速でANARCHYが未来に行っちゃって、高笑いしてる世界感が、パァ〜ッって広がってくるのだった。なんたる存在感!!ホンモノのロックバンドANARCHY再始動!
  「これが、ロック!バンドだ!」、、、、ため息すら出て来た。まるで、目隠しされちゃった13年間、、、、オレの想像なんて、軽ぅ〜く飛び越えちゃって、オレ自身、もしかしたら、一度死んじゃって、また戻ってきたのか、、、なんて、、、、、、。これまで、知らされてなかったバンド・マジックってヤツを、今、目の当たりにしてくれてた。オレが10代に、自分の生き方や、考え方、、すべてに、影響されたし、、、オレがこの世界でやってくための、大きなキッカケとチャンスをくれたアニキたちは、やっぱ、破壊的に、凄ぇ〜や!!って、また、ここでも大きな手で、オレの背中を叩いて勇気付けてくれた。
  ここでは、紙喰うヤギを、、、、札束の舞う世界に放り出し、、、、、〜なんて、ヴィジョンが浮かんできた。あとは、楽曲の中から、バンバンとアイデアが溢れ出してきた。都内の路上を、ただただ、眺めながら、写真を撮った。、、、、コンクリ−トで埋め尽くされた中に、何が染み込んでいるのか、考えて、、あぁ、そうだ、時空の歪んだ中を、ANARCHYが泥だらけで歩き回ったら、、、、なんて、、、考えていくうちに、VIDEO CLIPも制作したくなってきて、、、予算なんかじゃない、アイデアだけで、ギョッ!ってするような作品が誕生しそうな、勢いがあったのだ。まさに、リスタ−ト!オレの創造欲にもデカイ火が放たれたのだ!.........さあ、やってみろよ!って。

  VIDEO CLIP『ノーライフ』を監督した。札束の舞う世界をバカみてぇにウロウロする可愛いヤギのカットから、スタ−トして。時空の曲がった世界で、叫ぶシゲルと。かっ開いた眼光。ピョンピョンはねるように日常生活ってヤツのリズムに乗っかって流れ行く人々。泥まみれで、演奏するANARCHY。泥まみれで、時空の曲がった世界を散歩するANARCHY。
  .........「〜個人的な理由は いつも コンクリ−トで埋め尽くす 〜 シナリオの有る 疲れたバケ−ション 無知が歩いてる 〜 押し込められた"ZOO"、、、はしゃぎ 長い手足をかじり出す 〜 糸の切れたコミュニケ−ション ばやけた世紀末〜」..........日常の中、ただただ流されてく人々の中、、、ANARCHYはすべての時空から、飛び出して、街中をうろうろと徘徊してる。そして鋭い眼光で眺めてる。、、、そんなイメ−ジをVIDEO CLIPの表現の軸にした。
  まさに、ANARCHY再始動!、、、、、そして、誰もオレを、殺しちゃくれない。
  1997年って年は、ROCKって名前のリスタ−トの年だったかも、知れない。イベントも目白押しだった。まずは、オレを育ててくれたライブ・ハウスー新宿ロフトが20周年を迎えるにあたって、『LOFT 20TH ANNIVERSARY~ ROCK OF AGES 1997』が日本武道館で、7月24日に開催された。
  、、、、出演者も、アナーキー、ウルフルズ、筋肉少女帯、シ−ナ&ロケッツ、SIAM SHADE、スピッツ、↑THE HIGH-LOWS↑、花田裕之&ROCK'N ROLL GYPSIES、HOTEI TOMOYASU、THE MAD CAPSULE MARKETS、LA-PPISCH、石橋凌(ARB)、泉谷しげる、池畑潤二(ex.THE ROOSTERS)、井上富雄(ex.THE ROOSTERS)、遠藤ミチロウ、大島治彦、KEITH(ARB)、KYON(ex.ボ ガンボス)、柴山俊之、下山淳(ex.THE ROOSTERS)、スマイリ−原島、CHAR、白竜、PANTA、、、、、、もう、挙げてたらキリないくらい、、、「新宿ロフト」で数々のパフォ−マンスを見せてくれたア−ティストが、夢の共演を果たしたのだ。
  、、、、、もちろん(でも、ないか、、、)。事故後のオレも、アニキ達から呼ばれ、このイベントのシンボル・マ−クから、グラフィック関係で、参加を要請された。、、、これは、もうホントにうれしかった。
  東京出てきてすぐ20歳前後に、アナーキーのシゲルにさそわれて新宿LOFTに、チョロチョロ顔だすよーになって、さ。、、、、、、、、、また、よしゃ、いいのに、、、LIVE終わってからも、LOFTに居座って、さ。いろんなミュ−ジシャンたちと、朝まで呑む、呑む、呑む、呑む!でしょ。で、いろんなバッカみたいなエピソ−ドを、作ってさ、、、。もしかしたら、そんなデザイナ−の若造って、オレくらい、だったかも知れない。それくらい、バカだったワケですよ。、、、まぁ、ともかく。事故後のオレ!リスタ−トの年に!原点になってる「新宿ロフト」の大切なイベントに参加できたことは、本当に、オレの生きてる「時代」ってヤツに感謝した。
  ちょうど、その頃。ファ−・ウエストの友達バンド『CARCASS』のドラム!『KEN OWEN』が来日してたもんで、、オレの家に泊めて、、、『LOFT 20TH ANNIVERSARY~ ROCK OF AGES 1997』日本武道館のライブに、連れていった。、、、そう、これだけのメンツが、一同に揃ってライブやるなんて、、、ない、からね。ロンドンのア−ティストに、是非とも、見せたかったんだ。KEN OWENは、ファ−・イ−ストのROCK!ってヤツに、そのジャンルの幅広さに、ただ驚いてた。こんなに、方向性の違うヤツが、同じステ−ジに立つなんて、、、素晴らしい、ね。ってことだった。オレなんかは、もう開場になる随分前から、酒呑んで、もう、ゴキゲンでしょ。最後の打ち上げ会場「新宿ロフト」でも、ピョンピョン跳ねてて、、、KEN OWENは、「ファ−・イ−スト・ケン?クスリやってんのかい?」だって、、。そのくらい、スペシャル!ハイテンション!、、、事故後、初めてくらい酔った夜(っていうか、朝)だった。みんなも、、、「事故後の退院した頃の、おとなしさで、、十分だよぉ、、、勘弁しろよ!また事故は!、今度は葬式!行きたくないからなぁ!」って笑ってた。
  翌7月24日は、『THE MAD CAPSULE MARKET'S』が、一度はチケットまで発売されたものの、来日公演が延期になってた『RAGE AGAINST THE MACHINE』の東京公演をサポ−トすることとなってて、、、。赤坂BLITZでのライブに、KEN OWENを連れてった。予想したとうり、もう、海外のア−ティストだ!日本のア−ティストだ!って御間抜け!なLIVEじゃなくって、『THE MAD CAPSULE MARKET'S』VS『RAGE AGAINST THE MACHINE』がガップリヨツに組んだ、エネルギッシュ!なライブだった。両バンドともに、圧倒的な個性があるサウンドとライブ・パフォ−マンスで、開場全体を支配してた。もう、評論家なんて必要ないってカンジ!、、、、、、当たり前だけど、ロックには、国境も、国籍も、ない。
  、、、終演後、KEN OWENを連れてバックステ−ジに入ったら、『Prodigy』の『MAXIM』が居て、、なんと、KEN OWENの知り合いで、さ。オレのことを紹介してくれた、、、『THE MAD CAPSULE MARKET'S』のア−ト・ワ−クとVIDEO CLIPの監督であること。そして、イギリスでも有名な『DJ KRUSH』のア−ト・ワ−クをやってる、、なんて、、。で、『MAXIM』って、『Prodigy』のステ−ジやVIDEO CLIPで見てるイメ−ジからは、随分かけ離れてて、、、そう、、、紳士!ジェントル・マン!だった。、、、あっ、そうか、ノッティンガムのプロデュ−サ−『イアン・シャ−ウッド』繋がりかぁ、、、、「オレもノッティンガム、行った、行った、遊んだよー」なんて、喋って、、。『Prodigy』の新しいヤツは!大好きだぁ!なんて、、、、。でも、ホント、地球も狭い。あらゆる表現は、廻る、廻る、世界を、、、。
  そのまた、翌7月25日〜26日は、またこれも、日本で初めての巨大なROCKイベント!『FUJI ROCK FESTIVAL '97』が、始まった。前日からKEN OWENと富士天神山スキー場に出かけた。、、、、ところが、、、何がそうしたのか、、、台風が、直撃しそうだった。クルマで行ったが、駐車場もいっぱいで、もう、ない。仕方ないけど、帰りの混雑も予測して、、、会場の入り口付近に違法!路上駐車!した。
  アナーキーのシゲルや、役者・宇梶剛士と、よく遊びに来てた知人の牧場が、会場の近くの上九一色村にあるっていうんで、そこの知人の家で、『FUJI ROCK FESTIVAL '97』の2日間は、お世話になることにしてた。、、、もちろん、キャンプやアウト・ドア派のシゲルからのアドバイスで、食料や酒なども、、、ぜってーに、混乱しちゃうからって、近くの農協のス−パ−で、、、スマ−トに調達してからの、会場入りだった。
  キ−プしてたチケットも2枚余っちゃてて、、、、入り口付近で、遠方から来てたチケットを欲しそうなガキが居たから、バカ・ダフ屋の目の前で半額で譲ってあげた。で、、、バカ・ダフ屋なんて、ピンハネして成立するもんだから、、怒って追っかけてきたけど、、、「なんだぁ、そらぁ〜!」舌出して笑ってやった、、、ほんと、、、富士山まで来て、ダフ屋って、、、寂しくないかぁ?
  で、入場したら、『THE MAD CAPSULE MARKET'S』が、ちょうど2nd.STAGEでのライブがスタ−トするタイミングだった。もう、いつもどうり、っていうか、いや、いつもにも増して興奮したオ−ディエンスを前に、最強のサウンドを、パフォ−マンスを見せてくれた。で、楽屋を訪ね、、、、、その頃から、台風が、台風が、台風がぁぁあぁ!!!暴れはじめた。
  その後は2nd.STAGEのバックステ−ジに居て、舞台袖から、豪雨に避難しながら、ライブを楽しんだ。『Boredoms』『Atari Teenage Riot』『Denki Groove』『Aphex Twin』が、もう、そこでライブ・ステ−ジを繰り広げてくれた。オ−ディエンスは、その台風によって、さらに、さらに、ヒ−トアップしてた。まるで、巨大な泥だらけ温泉!に、暴れ廻る人!、ひと!!、、、、人!!!。、、、とても、この世の光景じゃ、ない。
  特に『Atari Teenage Riot』は、偶然にもロンドンで見つけたインディーズ盤の頃から、そのサウンドにハマってたから、ダイレクトに『ALEC EMPIRE』をはじめとするメンバ−と喋れたり、一緒に写真に収まったりで、うれしかった。、、、『THE MAD CAPSULE MARKET'S』のKYONO、タケシ、MOTOKATSUと4人で、『Atari Teenage Riot』のステ−ジ上手で、ライブに参加してるかごとく、、ビニ−ルカッパ着て、踊り狂ったのが、、、もう、腹がねじれるくらい、楽しくて、ほんと、サイコーって!ハシャイダ!はしゃいだ!ハシャイダ!はしゃいだ!ハシャイダ!はしゃいだ!
  『Denki Groove』のメンバ−とは、ほんと、もう3年ぶりくらいに再会するし、、、『Aphex Twin』のライブパフォ−マンスも、、最高だった。いずれも、着ぐるみには、笑わせていただいた。
  しっかし、台風の影響は予想以上に大きく、観客はホントに難民状態。MAIN STAGEでの『FOO FIGHTERS』『RAGE AGAINST THE MACHINE』『RED HOT CHILI PEPPERS』は、いずれも、最近、ライブハウスの距離で、見てるから、、、まぁ、いいかぁ、、なんて。『Aphex Twin』の終演後、難民会場を逃げるようにして、、クルマに戻り、知人の家で、、 (バスや徒歩で会場を後にしなければならない人には本当に申し訳なかったが、、、、)ゆっくりと、一休み。で、翌日に備えたのだが、、、翌朝は、気持ちいいくらい晴れわたってた。
  ところが、、、ラジオで、何やらFUJI ROCKの話をしている。「〜というワケで、今日のFUJI ROCK FESTIVAL2日目は残念ながら中止になってしまったんですが〜」、、、、、せっかく、『Prodigy』の『MAXIM』と、、、また喋れるって思ってたのにぃぃ、、、、。「26日はProdigyで暴れてくれ!!」って言ってたじゃねぇか。、、、、残念、、、、。
  まあ、日本でもレディング・フェスティバル規模の巨大なROCKイベントが、スタ−トした!その瞬間に!生きてるんだから、、、なんて、、、かなり、内容の濃い、深い、1997年ROCK三ヶ日!ってヤツを、『ファ−・ウエスト・KEN OWEN』と過ごした。
  『LUNA SEA』のギタリスト『INORAN』のソロ・ワ−クも、ロンドン&ニュ−ヨ−クで、『DJ KRUSH』と一緒に進んでいた。音源完成して帰国した『INORAN』からも、ア−ト・ワ−クの相談を受けた。お互いが、超多忙の中、時間を作って、、、真夜中のBARで、2人で会ってミ−ティングした。『 J 』のソロ・プロジェクトでのライブで会って以来だった。CDジャケットやら、プロモ−ションの展開やら、ざっくばらんに相談した、、、、アルバム・タイトルは『想』。そして、そのサウンドは、彼のもつ繊細さを、さらに前に押し進めたものだった。彼が依然からリスペクトしてきた男『DJ KRUSH』との、念願のコラボレ−ト。そして、さまざまな、ボ−カリストとのコラボレ−ト作品だ。もちろん、タイトル・トラックは、はじめて耳にする『INORAN』の声があった。
  想像力に敏感な人なら、すぐに、ピンと来る、、、、アヘンの華!、、、、そう「けし」の華を、そのア−ト・ワ−クの中心に、持ってくることにした。それも、ソラリゼ−ションとモノクロ−ムで。撮影も真夜中から、スタ−トして、朝までっていう過密スケジュ−ルの中、、、行なわれた。もう、寝てる場合じゃ、なかった。

  『LUNA SEA』のギタリスト『SUGIZO』からも、レーベル『CROSS RECORD』シンボルマーク・デザインや、主催のイベント『ABSTRACT DAY』におけるグラフィックワーク。、、、、そしてアルバム『TRUTH?』ジャケットデザインのオファ−もあった。ドラムス『真矢』からも広告展開を、、。『RYUICHI』からはオリジナル・スノ−・ボ−ドのデザインを、、、。
  ベーシスト『 J 』と同様に、普段『LUNA SEA』のア−トワ−クの現場では、ない。セルフ・プロデュ−スなワケで、レコ−ド・メ−カ−から、、、レコ−ディングの場所から、エンジニア、バンド・メンバ−、カメラマン、すべて本人たちがチョイスしていた。負けん気が爆発する。コンポ−ザ−。そしてプロデュ−サ−としての『INORAN』『SUGIZO』のエネルギ−が爆発してる様が、ビシビシ感じられた。オレも負けてられない。、、、、1996年の暮れに、病院を見舞ってもらって以来の、仕事現場での再会である。「オレ、リスタ−トして、、、ガキみたいに素直なリアクションと、、、、、、素直に、、、発想や表現を、、、出して、、、生きるから、、、」、、、休日も、寝る間も、また、また、削って、、、、身体削ってやってるから、、、って感じだった。
  1996年暮れ『LUNA SEA』< UNENDING STYLE TOUR FINAL Christmas STADIUM〜真冬の野外〜 in 横浜スタジアム >、、、オレが病院を抜け出して参加したライブで、、、突然のように発表された、『LUNA SEA』活動休止から、、、、、。

  再始動で全員で集まるまでの、、約束の、、、、、、、1997年10月1日。
  それまで、、、、、出来うる限りの、自分「個」としての、『RYUICHI』『SUGIZO』『INORAN』『J』『真矢』可能性のエネルギ−をフルに燃やしていたのだった。

あっと言う間の、、、、半年が過ぎようとしてる。
  オレにとっても、事故後のリスタ−トのタイミングにも、ピッタリの忙しさと、環境だったことは、間違いない。すべてがリスタ−トする1997年。隠れてると影すら、見えない。もっと、もっと輝けるように、、、、、、、、、。