SAKAGUCHI KEN FACTOY,inc. 2-14-10 Misyuku,Setagaya-ku,Tokyo,Japan 154-0005 TEL:03-3424-2304 FAX:03-3424-2341
EYE / GO TO TOP
|||| 001
|||| 002〜004
|||| 005〜006
|||| 007〜008
|||| 009
|||| 010
|||| 011〜012
|||| 013
|||| 014 その1
|||| 014 その2
|||| 014 その3
|||| 015
|||| 016
|||| 017
|||| 018
|||| 019
|||| 020
|||| 021
|||| 022
|||| 023
|||| 024
|||| 025
|||| 026
|||| 027
|||| 028
|||| 029
|||| 030
CLOSE
014◆Somewhere/Nowhere 1995
    オレも世界を廻った、廻った。 --1



1995年は、とにかく世界を廻った、廻った。
  年頭に『中山美穂』の仕事。シングル『HERO』とアルバム『COLLECTION 2』の撮影で、はじめてのL.A.に向かった。ディレクターはもちろん、あの、『横浜銀蠅』のJOHNNYさん。カメラマンは、古くは、『THE BLUE HEARTS』のパンフレット。『SCHAFT』でのLIVE撮影で、一緒に仕事をした『有賀幹夫』。『THE ROLLING STONES』や『AEROSMITH』『PEARL JAM』『GUNS N' ROSES』『IGGY POP』といった世界を代表するア−ティストとも、セッションしてる男。今度も、ロックを愛する2人で、『中山美穂』とセッションしたら、、、、また、面白い!って思ったの、ね。
  はじめてのL.A.の印象は、これまでのNEW YORKやLONDONみたいな都市のイメ−ジは、カケラとしてなくて、、、あぁー広大な砂漠に、突然作られた街だってこと。どこまでも延々と続くハイウエイと、、『U2』のジャケットでおなじみの、JOSHUA TREE!!!、、、、当たり前のような青い空と、、夢のように美しい夕焼け、、、そして、今にも手が届きそうな、、、星でうめ尽くされた夜空でしょ。、、、、、、自然そのもの!なのだ。空気も、これまで味わったことのない気持ち良さ!ここで、ロケか。また、オレのもう一つの眼が、パカンッ!って音を立てて、開いたイメ−ジだった。3泊じゃ、だめだぁ!!ここは、やっぱり、定住するための街なんだ。『X JAPAN』のhideたちが、こっちで住みたくなったのが、少しだけ解ったような、気がした。
  オレたちは、ウエスト・ハリウッドのHOTELに泊まった。歩いて、伝統のあるライブ・ハウスが立ち並ぶストリ−トに通えるし、、、深夜までやってるレコ−ド・ショップも、ある。チョ−!ラッキ!HOTELでは、偶然にもオレの大好きな映画監督の『ジム・ジャ−ムッシュ』とも会った。フロントで、ちょっぴり喋れた。「また、新作映画をもってTOKYO行くから。」なんて、、、そうだ、、、ここは、ハリウッド!映画の街だし!ミュ−ジックの街なんだ!偶然、『oasis』のLIVEがウイスキ−・ア・ゴ−・ゴ−ってライブ・ハウスをやってたが、残念ながら、、、SOLD OUT!
で、、、どうやっても入れなかった。「まっ!また、こよう!」って、かるく思った。あと、、、撮影材料を探しがてら、メルロ−ズまで買い物に行ったんだけど。そこに、BOY LONDONのショップがあって、、そこの店員の女の子が、「日本から来たんでしょ!『hide』って知ってるぅ?私の友達が『hide』って日本のア−ティストのプロモ・ビデオに出てんのよー。『L7』って知ってる!ガ−ルズ・バンドの、、、」。オレ、「もちろん!じゃ、ありませんかぁ!!両方!『hide』なんか、日本でよく一緒に呑んでるよっ。そう、ちょこっとアナーキーな、暴れん坊だよね。」って、、、あぁーそうだ!『hide』なんかも住んでんじゃんかぁー。「ぜったい、L.A.まっ!また、こよう!すぐ、戻ってこよう!」って。もう、そこで思ったんだよ、ね。   
  で、肝心のロケの方は、て言うと。L.A.の写真!といえば、お馴染みのHOLLY WOODって看板が山に、あるでしょ。そのドデカイ!看板のすぐ、下の家と、その付近でポ−トレ−トを撮った。撮影中、そこの家の娘さんが、「私の彼も、ここでデビュ−めざしてROCKやってるのよ。是非、デモトラック聞いてください」ってカセット・テ−プを持ってきた。なら、、、オレもJOHNNYさんに、その家にあったギタ−を渡して、「JOHNNYさんは、オレが高校生のころ、スッゲ−売れたロック・スタ−だったんだよ!」って、「JOHNNYさんっ!「ジェ−ムス・ディ−ンのように」やってよ!Fコ−ドで!おいで!カモ−ン!ってやってよッ!」って、おねだりしたら、、、、その場で、やってくれた!、、、、、、でも撮影中の美穂ちゃんからは!「ケンさんも、JOHNNYさんも、何やってんのよー!バ−カッ!!」って、怒られる始末、、、。(ホント、おちょうしに乗っちゃって、、、ゴメンなさーい)。
  シングル『HERO』のジャケ写は、男の子くらいバッサリと髪を切った『中山美穂』っていう、自立して、また、また強い女!になって、また、その魅力を!強く!見せるために、広大な砂漠を横切る真直ぐなハイウエイに、凛!と立ってもらった。、、、でシュ−ティング開始!!だが、、、美穂ちゃんが、ヒッチハイカ−にでも見えたのか、、、巨大なトラックが、次々と止まっていくのが、面白かった。それくらい、、、、『中山美穂』はリアルにL.A.のハイウエイに、溶け込んでいたのだ。
  この年のはじめから、『BUCK-TICK』は怒濤のレコ−ディングに突入!してた。コンポ−ザ−のIMAI HISASHIの曲作りで、カンズメになっちゃうスタジオが、オレなんかの自宅の近所に、なったってことで、夜な夜な。オレん家と、IMAIスタジオの、歩いたら、、、そう、ちょうど真ん中くらいに、通いやすい居酒屋が、あって、、、そこで、2人で呑む機会が、また、また、増えた。
  あと、オレが仕事で、夜中というか、、AM3:00とか、AM4:00くらいに終わって家帰って、、、まっすぐベットに入ればいいのに、、、新曲を、すぐにでも聞きたい!って欲求なのか、、、IMAIスタジオまで、呑みに行ってた。ホント、、毎度、毎度。IMAIが、新曲聞かせてくれながら、、「本日の曲作り!お疲れさまー!ジャケットどうしょうか!」なんて、、、朝日が、昇る頃まで呑んで、、、そのまま、仕事行ったりもした。あんまり、オレ、モノ作りの話してたら、、眠くなんないから、、というワケでもないが、つくずくタフだったと思うなー。その頃は、もう、できたてホヤホヤ!の新曲を、、すぐさま聞いてた気がする。
  で、第1段シングル『唄』が発売になった。このVIDEOクリップもビデオ監督の林さんからは、もっと別の絵コンテがあがってたと思うが、、、、、、、。 なんか、これもIMAIスタジオで呑んでて、、、なんかゲッ!っていうくらい面白くて、今まで『BUCK-TICK』がアプロ−チしたことのないアイデアがないか!って、話してて、、。多分、IMAIの発案!で。とにかく、スタイリングをメンバ−全員が、、、なめきってる!誰が、なにをやってるかって、、、?それは、皆さんの想像力に、おまかせいたします。撮影現場もこれまでにない、笑いに包まれたものになった。
  5月にアルバム・リリ−スが決定してたんだけど、、、こんどのアルバムは、ほんと難産!だったんじゃないかなー。まだ、まだ作り続けるのーってくらい、、、自信満々!!で、湯水のように、どんどんと、新曲は生まれてきた。そんな風に、今までのアルバム制作では考えられないくらいの想像パワ−が溢れていた。おまけで、アニイとユ−タが入ってるリズム隊のスタジオ。 ATSUSHIが入る唄入れ用のスタジオ。 ギタ− & MIXのスタジオ。3カ所くらいを、日夜フル稼動させて、ほんと、怒濤!驚愕!のレコ−ディングだぁ!そんな中、ある日オレがIMAIスタジオに夜中行ったら、ATSUSHIから1枚のFAXが届いてた。「IMAI〜次、、曲まだかぁ〜」なんて、、。で、オレ「煮詰まってんじゃ、ない〜ィ!そうだ!レコ−ディング煮詰まる前に、ちょいと、オレたちで呑んで、、気晴らし!しようゼ!」なんて、[悪魔のパス] を発行しちゃった!、、、、そのまま、、、「例の西麻布レッド・シュ−ズで30分後!」なんて、3人、、、あと、ドラム・テクニシャンのAZAMIくんの、4人、、いや。スタイリストの八木さんも居たようなー。で、AM2:00から、ひさびさにみんなで会って、呑んで、、、それまで、溜まってたもんを一気に吐き出すかのように、呑んだ!弾けた!で、何軒はハシゴしたうえで、そのままATSUSHIの家まで、突撃したのだった。翌日の昼過ぎまで、永遠と呑んでたら!なぜか、、オレの事務所からATSUSHIん家に電話が!って何ィ!?って。ほんと、何だろう?「レコ−ド・メ−カ−の人が、みんなと連絡取れないって困ってます」との、こと。、、、、そのまま、IMAIと一緒に夕方の蕎麦屋で、いつもどうりシメ(?)の蕎麦!+ビ−ルってやってから、今度はオレん家でまた呑んでたら、HIDEHIKOから、ギタ−ダビングのスタジオからIMAIを探して、電話だぁ!、、、、「向こう側で、うまくやってたオレたちの快楽」を、、、もしかしたら、、、テレパシ−で見事にキャッチ!したんだろうかっ!!!って、思ってたら、レコ−ディングでのギタ−・ダビングの相談だった。 とにかく、怒濤!驚愕!のレコ−ディング途中の!ひとときの快楽の時間は、覚えてる。その時間がSomewhere Nowhere!になったかどうか!は誰も知らない。
  アルバム・タイトルから、そのジャケットのタイポグラフィックの基本ラインは、そうやってIMAIとの度重なる、御近所さんセッション!から生まれた(いつものことだが、当初は別のタイトル案もあったが)。、、、『Six/Nine』はこのアルバム以外の、言葉や名称としては通用しない!、、、それくらい、この音を刻んだ銀盤には、しっくりきた!!!!!また、このアルバム『Six/Nine』では、『悪の華』以来だが、ビデオ監督の林さんが全曲VIDEOクリップを制作して、フィルム・ギグ「新作完全再生劇場版」にして全国7ヶ所を廻ることになっていた。もちろん、これも、怒濤!驚愕!の撮影+編集だった。全16曲をたった2日間でシュ−ティングした。ここでの例の『Love Letter』のVIDEOクリップ!これは、仕上がりもおもしろいが、、撮影風景!これは、もっと、おもしろかった。
  そうして、ア−ティスト写真も、ジャケットもオレがはじめてトライした3Dのイラストレ−ションでアプロ−チしたCDジャケットも完成した。ジャケットのモチ−フになったのは、オレが大好きなNEW YORKのア−ティスト『ROBERT LONGO』。画家?ではあるが、のちに北野武も出演することとなった映画『JM』の監督も、やった人。彼は、あちらの雑誌で、「日本のROCK BANDのジャケットとコラボレ−トできたっ!とても、ナイス!なアルバムだっ!」って、語ってくれ、、、サンクス!NEW YORKにいっぱいCDを送ってくれっ!て、言ってきた。彼のラフ・スケッチを3Dイラストレ−ションに展開しただけなんだけど、、、なんか、スッゲ−うれしかった。巨匠と言えど、オレと同じア−ティストだっ!ってまた、また、元気になった。
  で、やっと、5月にアルバム『Six/Nine』が発売された(オリコン初登場第1位)。それと、同時にすぐに「Somewhere Nowhere 1995」TOURが全国に向かって発進した。毎回では、あるが、オレの地元・高松には、繰り出して、、、オレが高校時代によく通ったCLUBとか、高校の同級生が経営するBARで、まるで兄弟みてぇーに朝まで呑んだ。で、実家に戻っても、、、ただ、二日酔いで寝てるだけ!の里帰りでした。(苦笑!)
  いよ、いよ、『BUCK-TICK』はモンスタ−・アルバムを抱えて、新しい世界、と言うより、宇宙!!に出かけようとしている。間髪入れずで、第2段シングル『鼓動』も発売された。
  『LUNA SEA』はアルバム『MOTHER』を抱え、1995年、飛躍のLIVE TOUR『MOTHER OF LOVE, MOTHER OF HATE』で全国を廻った。『MOTHER』のVIDEOとツア−・パンフレットのシュ−ティングで、彼らが、もっともリスペクトできる場所=アイルランドとロンドンへと出向き、その壮大なスケ−ル感をさらに、広げていった。これまで『LUNA SEA』が残してきた映像を、VTR集『ECLIPSE 1』としてリリ−スした。その中で、はっきりと彼らの軌跡が見られ、どの現場の空気感もオレの中で蘇った。
  LIVE TOUR『MOTHER OF LOVE, MOTHER OF HATE』は、カメラマン辻砂織さんがツア−全行程を撮影した中からチョイスして、写真集にまとめることと、なった。オレの地元・高松以外のツア−全行程は、もちろん同行できないオレでは、あるが、カメラマン辻さんのファインダ−から覗ける『LUNA SEA』の姿勢は、さらに究極のROCK BAND=『LUNA SEA』を見事に切り取ってくれていた。
  少年時代、オレがワクワクした『THE CLASH』の写真集のように、、、、普段ファンが見れないような、素のまま、ありのままの、5人の時間を!!!はじめてアートディレクションした。彼らのそのメイクの下にかくされてた素顔が、ようやくファンの目に提示される。移動中や、オフ、バックステ−ジでのカットは、オレがいつも目にしてるまま!だし、、、。こうやって、現実の5人の存在をあらためて、心強く感じた。また、写真集といえば、この時期、モデル(?)女優のRIKACOが結婚。出産を通じてカメラマンのM.HASUIさんが追いかけた『PLUS LOVE』写真集のアートディレクションも手掛けた。2冊とも、空想や架空の世界では、ない!真のドキュメンタリ−だった。リアルな現実!のチカラ強さや、美しさを、実感した。
  『DJ KRUSH』はレコ−ド会社も移籍して、アルバム『迷走MEISO』で、NEW YORKレコ−ディング生活を送ることとなった。当然、オレもどーしてもNEW YORK行きたくって、、、。カメラマンの『MASA』と、映像監督の『諸沢利彦』3人で、NEW YORKレコ−ディングを通じての、ドキュメンタリ−的アプロ−チをしようと計画した。『DJ KRUSH』を追いかけ、NEW YORKに向かった。ひさびさ、のNEW YORKで、今度は仕事!ちょっぴりっつうか!スッゲ−楽しみなのだ。なんたって、『DJ KRUSH』の、そのレコ−ディング場面を、この眼で直接見れるし、どうやってレコ−ディングが進むのか!しかも、東海岸のNEW YORKで!
  今回は、オレがCDを持ってた東海岸のラッパ−たち『The Roots』『C.L.Smooth』『Gang Starr』、、etc.。そして、『DJ Shadow』ともコラボレ−トしちゃうのだ!HOTELはミッドタウンのア−ティストがよく滞在するHOTELになってた。『DJ KRUSH』もプロデユ−サ−の『浅野典子』も同じHOTELだった。そこから、イ−スト・ヴィレッジのレコ−ディング・スタジオに毎日通っては、レコ−ディング作業の合間をぬってア−ティスト写真を撮影したり、ドキュメントを追いかけた。
  レコ−ディング・スタジオは、こじんまりした落ち着ける雰囲気だった。時間を持て余し気味のオレたち3人は、TVゲ−ム(ストリ−ト・ファイタ−が1台)か、ピンポンくらいが、暇つぶしの相手だった。あっ!あと、CD屋とか、本屋、服屋もまわりにたくさんあったから、ガンガン買いあさったり(NEW YORKなんたって、安いッ!そん頃、円高!だった)、、、。まあぁ、、自由行動がたくさんあった仕事だ。
  スタジオには、『The Roots』『C.L.Smooth』『Gang Starr』『DJ Shadow』たちが、続々とやってきては、『DJ KRUSH』と真剣勝負!のコラボレ−トが進んでいった。ラッパ−たちは、もうインスピレ−ションのカタマリ!だ。当日やってきては、レコ−ディング卓の前に座って、『DJ KRUSH』のビ−トに素直にスピリットとカラダをまかせ、ゆだねた。そして、宇宙から降ってくる言葉の数々を組み立てて、偶発的に!アプロ−チして、レコ−ディングしていった。レコ−ディングって、本来!コレなんだぁ!って、自然なヒップ・ホップのコラボレ−トをそこに、見た。また、特にオレは『DJ Shadow』VS『DJ KRUSH』のコラボレ−トが、もう忘れられなくって、、『DUALITY』ってトラックなんだけど、、、まさか、DJ VS DJなんて、あり得ないって思ってたからね。お互いのビ−トが、2トラック!で、それを交換した上で、、その上にそれぞれが上ものを重ねて、最後に1トラックに合体させるって、いう、、、なんか、2人のライブ!そのもの!の現場で、楽しかった。、、、、でかくて、ピザが何より大好きで!バイナル・ショップでは、もう、1日中ずぅ−と過ごせる!、、、そんな『DJ Shadow』が、まだ22歳!!って知った時は、さすがに!やられたぁ!革命的な男だなぁ!って、、、感心した。
  また、オレはヒップ・ホップ文化に見られるタギング!って、いわゆるラクガキって、前から興味あったのね。ほら、地下鉄の車両の全部カンバスにして、自由にア−ト表現してたり、、、文字をグシャグシャ!に表現してみたり、、、。
で、オレはスケッチ・ブック買って来て『DJ KRUSH』とコラボレ−トするア−ティストたち全員に、東洋の「漢字」!ってヤツを、タギングしてくれぇっ!!!って、お願いした。「漢字」って、どう思うんだろうって、、、。『迷走』って字を、彼らは『DJ KRUSH』とコラボレ−トしたそれぞれの思いで、書きなぐってくれた。、、、、ヨッシャ−!デザイン!頭の中で広がって、固まった。東洋の「漢字」で行こう!アルバム『迷走MEISO』のジャケットは、東洋の墨絵のようなイメ−ジと東海岸のヒップ・ホップのコラボレ−トにしよう!って。
  イ−スト・ヴィレッジのレコ−ディング・スタジオと、ミッドタウンのHOTELを行ったり来たりの毎日だったけど、毎晩、プロデユ−サ−の『浅野典子』に隠れては毎晩、部屋呑みしてるオレたち3人を、訪ねては『DJ KRUSH』も、ビ−ル瓶を抱えて、、真夜中過ぎにやって来た。この時、スタジオで見られる『DJ KRUSH』とは、まったく違った1人の男!が、気さくに、いろいろと喋ってくれたり、笑わせてくれたりした。日本から持っていった『BUCK-TICK』の出来たての新しいアルバム『Six/Nine』も聞かしたりして、、、、。オレの仕事の話をしてみたり、、、。バカ話ばっかり!だけど、、、なんかオレたち、クソガキども!が修学旅行の夜を過ごしてるか、のようだった。なんか、あらゆるクリエイタ−って子供ん頃のままだなぁ〜。
  そんな、NEW YORKレコ−ディング生活の中。物凄くDOPEで、重量感のある新しいアルバムが、ここに生まれた。これは、始めての極東と、東海岸の合体作品!では、ないかぁ!
  東京に戻ってすぐに、今度はそのNEW YORKでタ−ン・テ−ブルを職業にしている、もう一人の男と出会った。
   『dj honda』。その男は、NEW YORKで開かれてるDJ BATTLE FOR WORLD SUPREMACYっていうDJバトルの世界選手権で、日本人としては、はじめてエントリ−を許可されて、大会を制したヤツだった。アメリカに移住して、そのまま、各地のクラブでプレイしているって、ことだった。当時、NEW YORKとTOKYOを行ったり来たりだったカメラマンの有賀さんが、NEW YORKで撮った彼のポ−トレイトを持って、レコ−ド・メ−カ−の人とオレの事務所に遊びに来てくれた。 いよいよデビュ−する1stアルバム 『dj honda』と、1stシングル 『OUT FOR THE CASH』のジャケットデザインを依頼されたが、、、オレは『dj honda』本人と、会いたいって、、言って。オレの家の近所の焼き鳥屋で、一緒に呑んだ。デカイ男!って第一印象!で、コイツもまた、また、眼光鋭く!日本刀を持たしたら、サムライだなぁ!って思って。で、呑んだんだけど、まだ、まだ、喋りたりなくて、そのままオレん家まで流れて、お互いの、これまでのキャリアを喋りあって、オレが手掛けたジャケットや、プロモクリップも見てもらった。
  で、覚えてるのが、、、 『dj honda』はホント最初はROCK BANDでデビュ−するのが夢で、、、なんか、喰うためにバイトで新宿のクラブでオ−ルナイトでDJして、オサラ廻していくうちに、、DJが天職なんでは、ないかぁ!って眼が覚めた!って話。どうりで、オレが手掛けるグラフィックのコラボレ−ションの大半がROCK!ってのに、退屈しねぇーで、興味新進!で聞いてくるなぁーって。で、解ったことが、ひとつ!音楽って、マスコミの大多数が勝手な意見で先生みたいに、クラス分類してるけど、、、それ!ぜったいイケテナイ!ことだって!「オマエ。何系?!」なんて、ウンチみたいな人は、無視!無視!無視!無視!しちゃいましょう。
  『dj honda』本人は、その後、野球選手のイチロ−が冠って超!有名!になった、あの『h』ロゴの原形を、持って来てた。それが、なんか、キレ味鋭い!日本刀!!!にも見えて来て、、、とにかく、このロゴで全米デビュ−するべきだぁ!って思って、DefJamのコンピレ−ション盤やPUBLIC ENEMYのベスト盤みたいに、、今までやったことないけど、『h』ロゴ!のみ一発!とにかく、ムダのない!、『h』ロゴ!のみ一発!だぁ!って!シンプルなジャケットで、決めてみた。当時は、野球選手のイチロ−が『dj honda』のファンになったらしく、プライベ−トでは、いつも冠ってて、、、、「あー、ヤツって『dj honda』好きなんだぁー」ってくらいだったが、、、、そのおかげで、、、とても『dj honda』知らなさそうな、オヤジやコドモが『h』ロゴのベ−スボ−ル・キャップを冠ってて、、、なんだか、笑えた。
  ZIGGYのベーシスト戸城憲夫のユニット『LANCE OF THRILL』がアルバム『POISON WHISKY』をリリ−スすることになり、ジャケットのアイデアを考えてくうちに、『POISON WHISKY』って酒があったら、、、何処で呑んだらうまいかなぁーって、考えてたら、なぜだか浮浪者がいっぱい住める街=NEW YORKだぁ!って、思ったのね。(また、NEW YORKかよッ!)
  なんか、初めて行った時から、NEW YORKって街は、、、、ストリ−トに座ってたり、タクシーのフロントガラスを勝手に拭いて金をおねだりする人とか、マックに一日中じぃ−としてる人とか、、、多いなぁーって思ってね。NEW YORKって経済やカルチャ−がすげーェ!スピ−ドで動いてる街なんだけど、対極には、その慌ただしさ!を『POISON WHISKY』呑んで、酔っぱらっちゃって、ニコニコ笑って、眺めてる人も多いんじゃないかなーって、思って。
  で、オレはカメラマンの有賀さんと2人組んで、彼がROCKを追いかけて住んだ街でもあるNEW YORKにロケ行ったのよ。『LANCE OF THRILL』のメンバ−の写真と、勝手にイメ−ジした『POISON WHISKY』のボトルを持ってさ。
  NEW YORKでもたっぷり呑んじゃおう!ってイメ−ジして東京を発つ前の夜は、旅行バック持って、、、「さぁー、前呑みだぁ!機内で熟睡するためにゃ、東京で朝まで呑もうっ!呑もうっ!呑もうっ!」、、、、で、いつもの店いったら、なぜか、ツア−帰りで呑んでる『BUCK-TICK』の5人がいつものように居て、、、、オレが成田行く時間まで一緒に呑んだ、呑んだ。5人から「いってらっしゃーい」と見送られ、その都内のBARからタクシ−に乗ったんだけど、、、なぜか、ポリボックス!前で、運転手に起こされるの、、、、で、オレは気分だけがもうワープしてて、NEW YORKにいる気分で、「セント・マ−クス・プレイス!プリ−ズ!!」なんて英語で喋って、熟睡しちゃってたんだって、、、、トホッ。
  そんな、こんなあって、、、やっと成田着いてチェック・インしたら、、TOKYO→NEW YORK便は、空席いっぱいあったから、思いどうり、、、肘掛けを全部あげて、、、足のばして、、、、ゆっくり〜熟睡しちゃったのであります。飛行機!ほんと、眠るに限る!   NEW YORKはあいにくの雨。昨夜の東京で、呑んでたカッコのままで、肌寒いしー。、、、、まぁ!いいか!有賀さんとは、現地で会おうってこと、だったから、今度はホントに「セント・マ−クス・プレイス!プリ−ズ!!」、、、、これまで滞在したことのあるミッド・タウンに向かわないで、夜が賑やかなイ−スト・ヴィレッジへ。いつも、よく遊びに行く辺のHOTEL探してチェック・インした。安ゥ〜い!マジ!安いHOTELを見つけた。なんと、前払い!らしい。フロントのオヤジも、まったくやる気がない、、、。で、部屋を案内されたが、、簡素で、TVも壊れてるし、、カギはしっかり掛からないし、、まぁ!オレ1人だし、、、いいかっ!BARもLIVE HOUSEもSHOPも!大好きなカレ−屋も!レコ−ド屋も近く!だし、、、。
  さっそく有賀さんに電話して、現地に住んでて、カメラマンの勉強してる若いヤツと3人で、、、『POISON WHISKY』が似合うロケ場所を探した。ホント、最小人数での撮影だ。たった2日間!しか、時間はない。そこで、マンハッタンを離れブルックリンへ向かった。、、、、よく映画で見かける犯罪で、死体が転がったり、、、。浮浪者が住みついてるイメ−ジの廃虚とか、あるはずだ!なんて、考えて、、、、、!!!
  やっぱ。そこに、あった。その廃虚群からは、マンハッタンが眺められ、気分もイイ。なんたって、眺めだけッ!は最高だぁ。廃虚群の中は、何処から、集めてきたやら、珍しいゴミというか、ジャンク・ア−トの山があった。そう!拾って来たゴミが、美しいア−トのように、整然と飾られてた。そして、なにやら、神様を飾ってたり、、、、、。オレと有賀さんの中の、絵心が騒ぎ始め!ただただシャッタ−音が鳴り響いた!、、、、で、そこの住人にも『POISON WHISKY』のボトルを持ってもらって撮影もした。初日で、もうジャケットは完成したぁ!って感触もあり、、、オレたちは、イ−スト・ヴィレッジでゆっくり夜を過ごした。
  で、、で、ある。夜、深い時間まで、食事と酒で盛り上がり、、、、オレは1人、HOTELに戻るのだが、、、ベットメイクもしてないし、なんか、隣の部屋では、「Oh! WAOOOO!Oh! Oh! Oh! Oh! Oh! Came!Oh! Came!Oh! Came!Oh! Came!!!!!」なんて、ものすげェ!あっちっちィ!!喘ぎ声!が聞こえて来た!、、、、、!?!?!?!?!?
  カギだって、壊れそうだしぃ!近所で、また朝まで呑もうって思って、、、1人でBAR入ってバ−ボンやって、小ちゃいLIVE HOUSEで、情けないダサイ、バンドのライブを眺めて、、、また別のBAR入ってバ−ボンやって、朝まで過ごした。NEW YORKでハシゴしてたら、こないだ『DJ KRUSH』の現場で会ったストリ−ト・ファッションのブランドを展開してる『スタッシュ』&オ−ルド・スタイルのカリスマ『リ−』とも、BARで偶然にも再会!して、、、はぁーイ−スト・ヴィレッジも狭いんだなぁ、、、て思った。で、朝HOTELに帰ってきたら、『GREEN DAY』のファンだって言ってる思いどうりの色に髪をカラ−リングした5〜6人の、ニュ−ジャ−ジ−から出て来た田舎のクソガキが、HOTEL前に座りこんでた。はぁー『GREEN DAY』のファンって、ダセ−っ!なんて。思った。で、フロントのオヤジに「ベットメイクしろよ!」って言ったら、、、「オマエ、ココ、ミロ!」って看板を指差した。、、、、、、、はぁーセルフ・メイクかぁ!そのまま、2日目の撮影で、有賀さんたちに会って、、、昨夜のこと話したら、、、「ケンさん!あのHOTELは売春宿で、連れ込み宿だぁ!」って、、、なんとも、恥ずかしい。どうりで、普通の旅行代理店では、あつかわないわ、、、。へんな、勉強しちゃった。
  で、また昨日のブルックリンへ向かい、、、もうちょっと、撮影しようって思ったんだけど、、、、なんと、昨日あった廃虚群は、なにものかに、、、放火されちゃって、、、焼き払われていたのだ(もの悲しい!、、、、オレがガキん頃、空き地に基地!つくって遊んでて、それを壊されちゃった時の、悲しさ!思い出していた)。、、、、で、馬にのっかった警察官しか、いない。「アナタ タチ ココデ ナニ シテ マスカ? デテ イキナサイ!」で、ロケ終了!!!あとは、レンタカ−で普段NEW YORKに来ても、訪れない近郊の自然な風景の中を、、、気持ちいいドライブして過ごした。
  夏を前にしたNEW YORKの日ざしは、この時メチャメチャ気持ちよかったなぁー。